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マイキャリアストーリー

『自分を甘やかす時期を決めていい。花開くタイミングは人それぞれ』
コスモスイニシア 取締役専務執行役員 岡村さゆりさん【前編】

誰しも迷うキャリアの決断。管理職として活躍する女性はいつ、何に悩み、どう決断してきたのか。キャリアの分岐点と、決断できた理由を語っていただきます。

今回は、株式会社コスモスイニシアで取締役専務執行役員を務める岡村さゆりさんにお話を伺いました。

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岡村 さゆり(おかむら さゆり)さん

株式会社コスモスイニシア 取締役専務執行役員 経営管理本部長
1987年、リクルートコスモス(現コスモスイニシア)に新卒入社。新宿・東京支社での契約業務・顧客対応を皮切りに、世帯数1,500超の大規模開発物件をチームで担当するなど現場経験を積む。1994年東京支社営業部業務課課長。2002年東京支社業務統括部次長となり首都圏支社の第一線で支社運営に携わる。2006年1月本社事業本部業務統括グループへ異動、2008年事業統括グループ統括部部長、2014年執行役員経営企画室長。2017年6月に取締役常務執行役員レジデンシャル本部本部長、2019年4月取締役専務執行役員(現任)、2021年経営管理本部本部長(現任)に就任。

「自立して生きていきたい」。フラットな社風に惹かれて入社を決めた

マンション開発からオフィス開発、ホテル開発まで、住まう・働く・遊ぶを軸とした総合不動産会社、株式会社コスモスイニシア。取締役専務執行役員を務める岡村さゆりさんは、企業価値の向上や中長期的な成長戦略の立案を担いながら、総務・人事・経理・法務・経営企画など、コーポレート機能を統括する経営管理本部を束ねています。
岡村さんが新卒で入社した1987年は、男女雇用機会均等法が施行されて2年目にあたります。現在は経営のボードメンバーとして会社の根幹を支える役割を担う岡村さんですが、「今のような自分の姿は想像していなかった」と言います。
「中学生の頃から『もっといろいろな世界を見たい』と思っていて、大学進学では、地元を離れて上京することを決めました。大学時代の一人暮らしを通じて、自分の力で生きていくことへの覚悟が自然に芽生えていったのだと思います。
そうして迎えた就職活動。当時は男女の雇用機会均等について、制度こそ施行されていたものの、実態としてはまだ過渡期にありました。だから、女性は“短大卒・一般職”で入社するもの、という価値観を持つ方が多く、四年制大学から総合職に進む女性は私の周りでは少なかったと思います。そういう時代背景の中で、経済的にも精神的にも自立して生活していきたいと思っていました」
学歴や性別の垣根がなくフラットにチャンスが与えられる会社を希望し、たどり着いたのが、リクルートグループの当時のリクルートコスモス(現コスモスイニシア)でした。
「男女平等を体現する企業文化に加え、成長が続く不動産領域にも将来性を感じました。当時は、入社後のキャリアプランはまだ明確に描けてはいなかったけれど、なんとなく自分は生涯現役で働き続けるのだろうなとは考えていました。だから、年次や経歴にかかわらず仕事の機会に恵まれ、次々と新たな領域に挑戦できる社風にとても魅力を感じました」

世帯数1,500の大規模物件。3年目の経験がマネジメントの原点になった

入社後は、新宿支社の営業部業務課に配属。契約業務や決済手続きの担当となり、数億円規模の取引を扱う仕事から、社会人生活がスタートします。
当時、不動産業界全体は男性中心の労働環境でしたが、リクルートコスモス(当時)には「リビングアドバイザー」という職域制度があり、子育てなど家庭の事情で仕事を離れた方を中心した女性の営業職メンバーが分譲マンションの販売活動を行っていました。
「30代から50代の先輩たちが、自身の人生経験を活かしながら、生き生きとお客様に向き合っている。そうした姿が自然な職場でしたし、入社前に想像した以上に仕事のチャンスが次々に巡ってくる環境でした」
入社3年目には、世帯数1,500を超える大規模マンションのプロジェクトを担当。10人規模のチームで連携して動く面白さと難しさを経験できたことは、その後のマネジメントの“原点”になりました。
「契約・決済業務と並行して、300から400名の入居前のお客様を一堂に集めた大規模説明会の企画・運営も進めていきました。司法書士や保険代理店、ローン担当者など、不動産契約に関わる専門家の方々をお招きし、お客様に各ブースを回って手続きを完了していただけるよう、イベントを進めていきました。大掛かりな仕事を短い期間でやり切らなければとプレッシャーを感じる反面、大きな高揚感もありました」
それと同時に、チームメンバーや外部の専門家など多様なプレーヤーに快く動いてもらうために、事前の段取りやタイムマネジメントを工夫する力や調整力が鍛えられた貴重な経験にもなりました。
「チームの誰かにその都度指示を出して動いてもらうだけでは回らない。全体がどういう流れで、各自の役割が全体の中でどこにあるのか、その共通認識を作ることが大事だと身をもって学びました。のちに課長職に就いたとき、真っ先に思い出したのはプロジェクトでの経験でした」

「できる・できない」ではなく「やってみる」。仲間の存在が背中を押した

初めてマネジメント職に就いたのは29歳のとき。不動産業界はバブル経済の終焉と資産デフレ期でした。「自分に務まるのかな」などと悩む余地はなく、やってみるしかない状況だったと当時を振り返ります。
「人員も大幅に減り、とにかく人がいなかった。だからこそ、総力を結集して再生に向かうしかありませんでした。自社のシビアな経営状況を、経営陣が全社員にオープンにしたことで、私も当事者として“やるしかない”という気持ちになりました」
仲間たちの「一緒に次に向かおう」という前向きな明るさにも後押しされたと言います。
「前向きなチームメンバーと一緒にこの難局を乗り切れれば、大きな達成感を得られると直感的に思ったのでしょう。自分自身の人生については、何とかなるという感覚を持っていました」
「自分の選択を自分で決める」というマインドセットを大切にしている岡村さん。
20代後半の結婚では“寿退社”を考えたこともあったそう。ただ、そのときのパートナーからのひと言に、多くの気づきをもらったと言います。
「当時は結婚したら仕事を辞める方が多かったですし、仕事も一段落ついていた頃で、私も仕事を辞めようかなと夫に話したら、『僕を退職の理由にするな』と言われました。『あなた自身がこうしたいという希望があって退職するのなら応援する。でも、結婚を理由にするのは違う』と。確かにそうだな、もう一度しっかり考えよう、と思いました。自分はどうしたいのか、という視点に立ち戻れたことは、バブル経済の終焉後も、自社でキャリアを積み重ねることができた理由の一つだと思っています」


→「後編記事」につづきます。





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写真:源内 翼
取材・執筆:田中 瑠子

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