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マイキャリアストーリー

『経験ゼロからでも、学びながら挑戦していく』
日工株式会社・広報 岡橋早苗さん【前編】

誰しも迷うキャリアの決断。先輩たちはいつ、何に悩み、どう決断してきたの? 現役で活躍し続ける女性たちに、これまでのキャリアの分岐点と、決断できた理由を語っていただきます。

今回は、日工株式会社で広報を担当しながら、同グループ会社のトンボ工業株式会社取締役を務める岡橋早苗さんにお話を伺いました。

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岡橋 早苗(おかはし さなえ)さん

2016年に日工株式会社に新卒入社。事業企画部に配属され、営業管理システムの導入や運用を担当。産休・育休を経て、2021年より経営企画部経営企画課で広報業務を担当。2024年5月よりトンボ工業株式会社取締役に就任。

街づくりやインフラに貢献したいと日工を選んだ

アスファルトプラントやコンクリートプラント開発・製造で国内外のインフラを支える日工株式会社。岡橋早苗さんは広報担当として、グループ全体の事業拡大に向けた情報発信やメディア対応を担っています。
2024年5月からは、グループ会社であるトンボ工業の取締役を兼任。日工グループの女性社員として初めての取締役就任となりました。
「トンボ工業は、日工の創業製品であるシャベルやスコップを扱っています。グループ内で唯一のBtoC商材なので、広報の経験を生かして、製品のさらなる認知拡大に貢献するのが私の役割の一つです。そのために、『まずは自分自身が製品の理解を深めよう』と、兼業農家の同僚に協力してもらい、農作業で自社製品を使ってみたりしています」
学生時代から、街づくりやインフラに携わる仕事がしたいと考えていた岡橋さん。日工を選んだのは、その技術力の高さに惹かれたからだと話します。
「神戸市で生まれ育ち、1歳のときに阪神淡路大震災を経験したことから、震災後の街の復興にずっと関心を持っていました。神戸市は、小学1年生から中学3年生までの義務教育期間を通じて“防災教育”が徹底されていて、街について考える機会がとても多いんです。

就職活動で、地元で働ける企業を探していたとき、日工の存在を知って衝撃を受けました。日本全国のアスファルト舗装の7~8割、コンクリートの3~4割が、日工のプラントから生まれたものだと知り、こんな会社が地元にあったのだ!と。
道路や建物は人間社会が続く限りなくならないものの一つ。日工の仕事がなくなることはない、と思いました。また、東日本大震災の復興支援でプラントを何台も納入したと聞き、社会貢献性の高さにも惹かれました」

産休・育休を機に、広報職へのチャレンジを決めた

入社後は東京の事業企画部に配属となり、営業部門の売り上げアップに向けた施策を担当。展示会の運営や販促物のパンフレット作成などが主な業務でした。さらに、当時は、業務効率化を図ろうと顧客管理ツール(Salesforce)の全社導入を決めたタイミング。1年目の岡橋さんが全国の営業支店を回り、ツール活用の説明をする役割を担いました。

その後、結婚を機に本社に異動となり、会社の創業100周年を記念するさまざまなプロジェクトの企画・運営に携わることに。会社について深く知る機会を得たことが、広報の仕事につながっていったといいます。
「100周年プロジェクトでは、取引先向け・従業員向けのパーティや商品展示会の企画運営、社史の製作を行いました。その他にも、会社のイメージ刷新に向けて本社にショールームを新設するアイデアを起案し、施工管理まで担当しました。
このプロジェクトに携わったことで、日工の歴史や強みについて知識を深めることができ、『もっと自社の魅力を発信すべきではないか』と思うキッカケになりました」
広報職に就いたのは、入社6年目の2021年。産休・育休を取得し、一時期仕事を離れたことがターニングポイントになりました。
「それまでは、ツール導入や100周年イベントなど、良くも悪くもプロジェクトに左右されながら経験を積んできました。産休・育休でふと自分のキャリアを振り返ったとき、『この職種でスキルや経験を積み上げてきた』と自信を持って言えるものがないことに気づきました。
『復帰後は、自分なりに確立したポジションを持ち、この分野をやり遂げたと言える仕事をしよう』と思い、広報で勝負することを決意しました」
岡橋さんが広報に就くまで、社内には広報専任の担当がおらず、プレスリリースなどの社外への情報発信やメディア対応なども行ってこなかったといいます。 そこで、経営企画課として広報業務を起案し、新たなポジションを自ら作っていきました。
「会社は確かな技術力とシェアを誇っていながら、その良さが知られていない。100周年プロジェクトを通じて改めて痛感しました。知名度の低さから採用にも苦戦していましたし、株主の数など経営面でも課題がありました。課題の解決のために会社には広報が必要だと思っていましたが、知識も経験もゼロ。外部のPR会社のサポートを受けながら、体制を作っていきました」

(→「後編記事」に続く)





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写真提供:日工株式会社
取材・執筆:田中 瑠子

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