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マイキャリアストーリー

『できるかどうかではなく、やりたいかどうか』
メットライフ生命・CHRO 向井麗子さん、HRBP 茂木希望さん【前編】

誰しも迷うキャリアの決断。先輩たちはいつ、何に悩み、どう決断してきたの? 現役で活躍し続ける女性たちに、これまでのキャリアの分岐点と、決断できた理由を語っていただきます。

今回は、メットライフ生命、チーフヒューマンリソーシズオフィサー(以後、CHRO)の向井麗子さん、HRビジネスパートナー(以後、HRBP)の茂木希望さんにお話を伺いました。

向井麗子さんのイメージ画像

向井麗子さん

メットライフ生命 執行役 人事担当 CHRO

茂木希望さんのイメージ画像

茂木希望さん

メットライフ生命 人事部門 人事ビジネスパートナーチーム HRビジネスパートナー

新しいものを見てみたいと
日系、外資、海外転勤を経験

― 現在の仕事内容を教えてください。
向井:
メットライフ生命の人事部門をリードするCHROを担っています。
2017年にメットライフ生命に入社。最高執行役のビジネスマネージャーを2年担当したのち、コロナ禍への対応プロジェクトメンバーとして人事部門に異動。その後、社長室長を9カ月担い、今に至ります。人事畑でずっとやってきた…というわけではなく、現職のCHROも2021年から。社長にやってみないかと打診されて、「新しいチャレンジだし、やってみようか」と挑戦することにしました。


茂木:
私はHRBPとして、お客さまからの各種問い合わせ、手続き、保険料の徴収などを担うカスタマーケア・収納保全グループに所属する社員の採用から育成までを幅広く担当しています。事業成長のための”戦略的パートナー”として、社員が働きやすい環境を提供していくことがHRBPの最大の役割です。

ただ、私も向井さんと同じく人事経験は浅いんです。2019年にメットライフ生命に入社したときは、保険金部門の企画系のチームで、主に予算管理に携わっていました。2022年に人事に異動し、これまでの経験を活かせる部門の担当になりました。
3年間、オペレーションの組織内で実際の業務をしてきたからこそ、机上の空論ではなく、社員の皆さんの声を肌感覚として理解することができます。現場経験があることが今のHRBPの業務に活きていると感じています。
―お二人とも、メットライフ生命に中途入社されています。まずは向井さんのこれまでのご経歴をお聞かせください。
向井:
新卒で入社したのは日本とアメリカの合弁会社でIT関連会社でした。
「せっかく社会に出るのだから、今までとはまったく違う環境に身を置きたい」と考え、大学まで女性が多い環境で育ってきたこともあり、男性の多いIT業界は新鮮な環境かなと思ったんです。エンジニアではなく営業部配属となり、約5年の経験を積みました。

茂木:
慣れた環境ではなく、あえてチャレンジのほうに向かうところが、向井さんらしさなのでしょうか。


向井:
新しいものを見てみたい、という好奇心が強いんでしょうね。
ただ、入社してみたらびっくりすることも多かったです。大学までは男女が対等な立場で性別を意識することはなかったのに、社会に出たら、掃除や給湯などは“女性の仕事”として、当たり前のようにとらえられていました。男女雇用機会均等法が施行されてすぐの時代でしたからね。同期の男性に、「給湯は重くて大変なんだから手伝って」と言ったら、先輩から「それは女の仕事」と叱られたのが衝撃的でした。

茂木:
それは驚きです。今の環境からは想像もできません。


向井:
その後に転職した外資系金融機関では、今度は女性であることをとても気遣われ、文化の違いにまたも衝撃を受けました。

茂木:
そのときも、異なるカルチャーを求めて外資を選んだのですか。


向井:
1社目では5年続けていたので仕事にも慣れていました。そのまま続けるのは心地よいけれど、世界は広いのに1社しか知らないのはもったいないでしょう。そんなことを思っていたとき、たまたま友人に誘われた縁もあり、外資系金融業界に飛び込むことにしました。

茂木:
決断の背景にはやはり「新しい世界を見てみたい」という思いがあるんですね。


向井:
そうですね。さらにその後、配属していたIT部門の本部が香港に移ることになり、私も香港に転勤することになりました。
ちょうど子どもが中学校に入るタイミングだったので、いい節目なのでは、と思いました。すべてを心機一転、新しい人生を香港で始めてみよう、という気持ちでしたね。
その後8年間、IT部門でアジア担当の人事・総務・経理として経験を積み、今のキャリアにつながっています。

茂木:
向井さんと一緒にお仕事をしていると、変化を丸ごと受け入れた上で「じゃあ、できることを考えよう」という前向きな姿勢を強く感じます。これまでのキャリアの選び方にも共通しているなとお話を聞いて思いました。


向井:
香港で働くなんて、なかなかできない経験でワクワクするでしょう。上司も周りのメンバーも知っている人達だったので、あまり気負わなくていいかな、と。ダメだったら帰ってくればいい、またやり直せばいいんだと思っていました。
そうして8年間働き、帰国を考え始めた頃にメットライフ生命のことを知り、転職を決めました。

会計の知識を活かして長く働ける環境へ
メットライフが最適な場所だった

―茂木さんのこれまでのご経歴や、メットライフ生命を選んだ理由を教えていただけますか。
茂木:
大学卒業後は、急成長中の保険の総合代理店に入社し、会計学科で学んだ知識を活かそうと、経理財務担当からキャリアをスタートしました。その後、情報セキュリティ部門の立ち上げ時にプロジェクトリードにも挑戦しました。
仕事内容や会社には不満はありませんでしたが、20代後半になると、ずっと取り組みたいと思っていたMBA(経営学修士)への思いがどんどん大きくなっていきました。「今しかない!」と考え退職し、イギリスの大学院に1年間の留学を決めました。


向井:
それは大きな決断! 将来のために辞めることを決めるのは勇気が要りますよね。

茂木:
大学時代にベンチャーでインターンをしていたときから、ビジネスがどう成り立つのかに興味があり、いつか勉強しに行こうと思っていたんです。
MBA修了後は、すぐに働き始めたかったのですが、妊娠・出産のライフイベントが重なり、なかなか思うように動けませんでした。メットライフ生命には、出産後4カ月で入社しました。


向井:
出産後すぐに転職活動をされたんですね。

茂木:
そうなんです。子育てとの両立はもちろん大変でしたが、私の場合、学生のころから、ゆるぎない軸として、“働き続けたい”という思いがあったのに、妊娠中に具合が悪くて家にいることしかできなかったことの方がつらかったです。理想の自分と、それが叶わない現実のギャップに苦しみました。妊娠中という、期間限定のことだとわかってはいるのですが、焦りや不安に押しつぶされそうになっていました。出産を経て体が元気になった後は、「0歳児を育てながらの転職は大変」という思いより、「とにかく働けることがうれしい」という喜びが先にきましたね。


向井:
ちなみに、長く働き続けられる、という観点でメットライフ生命がマッチしたということですか。

茂木:
まさにそうですね。
2019年当時から、保険金部門は在宅勤務に寛容な組織で、子育てとの両立を現実的にイメージできました。
また、事業の予算管理を行う仕事は、これまでの会計の知識を活かして貢献できると思いましたし、アメリカ本社とのミーティングが頻繁に行われるグローバルな環境も魅力的でした。
MBA留学で必死に勉強した英語力も、使い続けなければ落ちてしまいます。ビジネスシーンで英語を使う環境を求めていたので、仕事内容・働き方・働く環境すべてを総合的に見て、ここがベストだと思いました。



「後編」に続く


■向井麗子さん・茂木希望さんのインタビュー動画





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写真:MIKAGE
取材・執筆:田中 瑠子

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