『前向きな自分を保つことが次の挑戦に向く力になる』<br>セーフィー・執行役員 植松裕美さん、サービスオペレーション部部長 白井有子さん【前編】のイメージ画像

マイキャリアストーリー

『前向きな自分を保つことが次の挑戦に向く力になる』
セーフィー・執行役員 植松裕美さん、サービスオペレーション部部長 白井有子さん【前編】

誰しも迷うキャリアの決断。先輩たちはいつ、何に悩み、どう決断してきたの? 現役で活躍し続ける女性たちに、これまでのキャリアの分岐点と、決断できた理由を語っていただきます。
今回は、セーフィー株式会社執行役員の植松裕美さん、カスタマーサービス本部 サービスオペレーション部部長の白井有子さんにお話を伺いました。

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植松裕美(うえまつ・ゆみ)さん

セーフィー株式会社
執行役員 企画本部副本部長 兼 VPoP(ヴァイスプレジデント・オブ・プロダクト)

白井有子(しらい・ゆうこ)さんのイメージ画像

白井有子(しらい・ゆうこ)さん

セーフィー株式会社
カスタマーサービス本部 サービスオペレーション部部長

地に足をつけて稼ぐ力をつけよう。
奮起して動いたから今がある

― はじめに、セーフィーの事業内容や現在の仕事内容・任されているポジションについて教えてください。
植松:
セーフィーは、クラウド録画サービス「Safie(セーフィー)」を開発・運営し、防犯カメラを中心とした「映像プラットフォーム」を提供しています。
セキュリティ対策から接客改善、顧客分析、業務効率化など、プラットフォーム活用の目的はさまざま。飲食店や商業施設、病院などの医療・介護の現場、建設現場、イベント会場、物流、製造工場など、ご利用いただいている業界は多岐にわたります。

私が所属する企画本部は、プロダクトの開発戦略を立て、実際にプロダクト(サービス、ソリューション)づくりを進めていく部門です。2020年2月にセーフィーに入社し、2021年12月からは執行役員として、プロダクトマネージャーやデザイナーの所属する企画本部内の複数部を広く見ています。

白井:
私は、植松さんより少し早く、2019年にセーフィーに入りました。現在はカスタマーサービス本部サービスオペレーション部の部長として、請求部門の全体統括を担当しています。カスタマーサービス本部は、お客様の問い合わせ対応をはじめ、営業部門が受注した後工程を担っていますが、その中でサービスオペレーション部は、請求周りの対応や、防犯カメラの出荷などを担当しています。今は約10人のメンバーのマネジメントを任されています。
― お二人の、これまでのご経歴を教えてください。
植松:
セーフィーは5社目で、1社目は医療系企業のエンジニアでした。
もともとエンジニア志向だったわけではなく、学生時代は、大学院まで物理を学んでいました。そして、学校推薦で紹介されるまま就いたのがエンジニア職だったのです。でも、やってみると、「自分が作ったものが動く」純粋な面白さがありました。プロダクトを通じて世の中にインパクトを与えられるところにものめり込み、その後、ソニーでアプリケーション企画やプロダクトマネジャーを経験。さらにスタートアップ企業でのプロダクトマネジャーを経て、前職のアマゾンでは、技術営業を担当していました。

白井:
植松さんが、エンジニアからプロダクトマネジャーにキャリアを変遷させた理由は何だったのでしょう?


植松:
エンジニアをやる中で、「人とのコミュニケーション」がいかに大切かを痛感していました。もちろん、コーディング自体も重要なのですが、それと同じくらい、先輩に仕様を聞いたり、レビューをもらったり、相談したりと、周りの意見を聞くことが重要なのではないかと。そうして、コミュニケーションを密にとることを意識して働いているうちに、だんだんとプロジェクトマネジャーを任されることが増えていきました。
改めて、「私はプロダクトに向き合うのが好きなのだ」と気づかされたのは、ソニーで仕事をしていたとき。どんなものを作ればお客様に使ってもらえるのか、驚きを与えられるのか、「これがほしかった!」という思いを引き出せるのか。それを考えて、プロダクトに反映させていくことがとても楽しかったのです。

最終的なゴールとなるプロダクトを作るうえで、一人の力だけで成し遂げられることはほとんどありません。どんなに豊富な知識・経験を持ったスペシャリストの集団でも、お互いにうまくコミュニケーションをとれなければ、ミスが起きてしまう。プロダクトマネジャーは、ものづくりに向き合いながらも、プロダクト作りに関わる全ての人がハッピーにタスクを進められるよう考える仕事。その両輪を見るところに面白さがありました。
アマゾンでは技術営業も経験しましたが、「やっぱり、もう一度、プロダクトづくりに向き合いたい」と思い、セーフィーに入りました。

白井:
私はセーフィーが3社目で、経理を中心にバックオフィス部門でずっと働いてきました。
短大を卒業して入ったのが、ノンバンク系の会社(銀行以外の金融機関)で、たまたま配属されたのが経理部でした。そもそも、入社の経緯も父親の紹介という縁故採用。正直、長く働き続けるイメージは持てていませんでした。
転機になったのは、入社して4~5年経ったときに、周りから「いつ結婚するの」「いい人がいるから紹介するよ」と言われ始めたことでした。


植松:今では考えられない空気感ですね…。

白井:
まさにそうなんです。縁故で入ったのだし、長くは勤めないよね…という暗黙の了解のようなものもあって、「なんでまだ会社にいるの?」というプレッシャーを感じ始めました。
それまでは、「結婚したら仕事は辞めて気楽に生きられるかな」などと吞気に考えているようなタイプだったんです。でも、いざ周りから言われ始めると、「結婚して仕事を辞める?本当にそれでいいの?」と一気に違和感がこみ上げてきました。
もっと地に足をつけて、自分で稼いで生きていきたい。そう思う一方で、「転職しようにも、今の自分には何の強みもない」という危機感もありました。そこで、専門的な力を身につけなければと奮起し、簿記2級の資格を取ってから、前職のニフティの経理部門に転職しました。その後、分社化による富士通グループへの転籍も経つつ、約25年間勤めました。

40代後半の転職に不安があった
でも入ってみたら、年齢なんて誰も気にしていなかった

― それぞれ、セーフィーへ入社した決め手は何だったのでしょうか。
植松:
まず、セーフィーの映像プラットフォーム事業に可能性を感じましたし、「映像から未来をつくる」というビジョンにもとても共感しました。
ソニーでプロダクトマネジャーをやっていた頃から、データをクラウド側で処理する未来が近い将来やってくると思っていました。2010年代の当時は、カメラで撮影したものを、カメラの中でいかに早く、キレイに加工するかに焦点が当たっていましたが、クラウドにつながっていけば映像 の使い方の幅がいかようにも広がります。
セーフィーを知ったとき、まさにその未来を実現させている会社がある!と思ったんです。

白井:
私がセーフィーを知ったのは、たまたま夫がセーフィーにSIMを届ける仕事をしていたからでした。
私自身、前職では、富士通グループのクラウド基盤を扱う会社で経理や決済サービス部門を担当していました。同じクラウドを扱う会社だったこともあり、夫からセーフィーの事業内容を聞いて興味を引かれたんです。夫は、日々届けているSIMが数か月で10倍、20倍規模に増えていた状況に「急成長している会社がある」「請求周りの組織がまだ立ち上がっていないから、経験を活かせるのではないか」と熱心にプレゼンしてきました(笑)。そこまで言うのなら話を聞いてみようと経理部門の方と会わせてもらい、入社につながりました。


植松:
そんな出会い方もあるんですね!

白井:
そうなんです。ちょうど、40歳以上の社員の早期退職希望を募る通知が来ていた時期で、これからのキャリアをどう歩もうかと考えていたところでした。
40代後半でベンチャー企業へ転職することに対して、前職の同僚は皆、「安定を捨てて辞めるの?」と驚いていました。でも私は、自分が積み上げてきた請求周りの領域を、新しい環境で生かしたい。若いメンバーの多い会社で、事業成長とともにまた自分を成長させたいと思い、転職を決意しました。
入社時はこの年齢で大丈夫かなと不安なところもありましたが、今となっては、何を気にしていたのだろうと不思議に思うくらい。事業と組織を大きくするためにみんなが奔走しているセーフィーの環境で、年齢なんて全然関係ありませんでした。年齢を言い訳にしていた自分の考え方が払拭されていきましたね。


植松:
セーフィーの年齢構成は、30代半ばを中央値にかなりバランスよく広がっていますよね。
本当に、年齢なんて誰も気にしていなくて心地いい。私も、先入観のない若い世代と一緒に働くことが楽しくて、自分にはない考え方に日々刺激をもらっています。


「後編」につづきます。





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写真:MIKAGE
取材・執筆:田中 瑠子

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