『モヤモヤした時は一歩踏み出す勇気を持つ』
PIVOT・エグゼクティブエディター三谷弘美さん
女性なら誰しも迷うキャリアの決断。先輩たちはいつ、何に悩み、どう決断してきたの? 現役で活躍し続ける女性たちに、これまでのキャリアの分岐点と、決断できた理由を語っていただきます。
第1回は、経済コンテンツ・プラットフォームを運営するPIVOT株式会社のエグゼクティブ・エディター三谷弘美さん(42歳)。新卒で日経ホーム出版社(現在の社名:日経BP社)に就職し、多くの雑誌の編集を担当。人気雑誌「日経トレンディ」編集長を務めた後、40代でスタートアップ企業へ転職したキャリアの持ち主です。また、プライベートでは3児の母でもある三谷さん。結婚、出産、育児、転職……自身のキャリアをどのように選択してきたのか、3つの分岐点についてお話を聞きました。
三谷弘美さん
PIVOT株式会社のエグゼクティブ・エディター。1979年生まれ。2002年慶應義塾大学環境情報学部卒。新卒で日経ホーム出版社(当時)に入社し、月刊誌「日経ウーマン」「日経ヘルスプルミエ」「日経おとなのOFF」などの編集を担当。「日経トレンディ」元編集長。3児の母。
※ご経歴はインタビュー当時のものとなります。
目次
分岐点1: 常識に囚われることを辞めて、若手時代に出産。
- 三谷さんが大学卒業後入社した日経ホーム出版社(現:日経BP社)は、日経新聞グループの書籍・雑誌の出版部門を担う企業。三谷さんは「日経ウーマン」「日経おとなのOFF」などの人気雑誌の編集を担当してきました。
- 三谷さん「編集者の仕事は、簡単に言うと雑誌の中で割り振られた自分の担当ページを企画・制作すること。つまり、編集者は入社した日から自分のページについての全責任を持ちます。新卒から多くのことを任せてもらう分、緊張感もありつつ、とても楽しく仕事に取り組んでいました」
- やりがいに満ちた雑誌編集の世界に飛び込んだ三谷さん。ご自身のキャリアの中で最初の分岐点は、出産だったと言います。
- 三谷さん「私は24歳で結婚したのですが、出産には尻込みしていました。というのも、育児休業を取っている1年間は、収入が減ってしまうという焦りがあったからです。私たち夫婦の場合、私が大黒柱として働いていました。もう少しお金が貯まったら……と、出産はまだ先だと考えていたのですが、結婚式の後に当時の上司だった『日経ウーマン』元編集長で、今はジャーナリストをされている野村浩子さんに、『若いからという理由で出産を遠慮することはない』と、背中を押され、考えが一変。26歳で最初の出産をしています」
- なぜ、当時の上司のひと言で、考えが変わったのでしょうか?
- 三谷さん「一旦、世の中の常識に囚われることを辞めることができたからです。すると、自分の悩みは案外重大ではないと気付けました。よくよく考えると1年間休まなきゃいけないと誰が決めたわけでもない。出産後すぐに復帰すれば、経済的な問題はクリアできるはず。特に私の場合は、せっかく親に大学まで行かせてもらい、就職では恵まれた立場にいる。夫に『もっと稼いできて』とは発言したくないという思いがありました。だからこそ、我が家では私がお金を稼いでくることに責任を持ち、夫が家事育児をするという分担をしています。
例えば世の中の女性は、結婚・出産を考える時に『自分より相手の収入が低いから無理』『出産でキャリアを中断したくないから無理』という悩みはありがちですよね。でも常識に囚われなければ『生活できる稼ぎがあるなら大丈夫』『産後3ヵ月で仕事復帰することだってできる』と、シンプルな答えに辿り着くこともできると思います」
- その後、三谷さんは2回出産をし、現在お子様は高校生・中学生・小学生に。
- 三谷さん「やはり大黒柱であるというプレッシャーはかなり大きかったです。その焦りから産休取得後もフルタイムで復帰しましたし、残業も引き受けました。結局のところ、家族のためだと思えたから忙しさも頑張れたのだと思います」
分岐点2:不本意な部署への異動。一旦やってみることで、キャリアの道が開けるきっかけに。
- 二度目の分岐点は副編集長として「日経トレンディ」編集部への異動。様々な雑誌編集部で10年以上働いた後の出来事です。
- 三谷さん「『日経トレンディ』は私がこれまで経験してきた雑誌のジャンルとは異なり、守備範囲もかなり広くなります。忙しくなることを予感していたので、本当は異動が決まったら会社を辞めようと思っていたほど。だから最初は『なんで私がやらなきゃいけないんだ!』と、かなり抵抗もしていて。とは言えサラリーマンの異動は逆らえないのが現実。一旦1年だけやってみようと、渋々受け入れたのが本音です。
でも、私は結構流れに身を任せてしまう性格でもあって。学生時代も背が高くないのになんとなくバレーボールを10年間続けていたり、なぜか同じ飲食店でのバイトを6年間も続けていたり(笑)。与えられた仕事は没頭してこなすタイプでした。なので、やってみると意外と面白くて。新しい知識を身に付けられたのはもちろん、当時のマネジメント経験は今のスタートアップ企業で生きています。不本意な異動でも、一度はやってみると道は開けることもあると感じました」
- 副編集長就任から4年後には、編集長にも就任。しかし、そこで見えた景色は意外なものでした。
- 三谷さん「編集長という役職についた途端、自分が一番得意な記事制作の仕事がどんどん少なくなり、『私の人生、これでいいのだろうか』と、モヤモヤすることが増えました。やりたかった仕事ではなく、会社という大きな組織でうまく立ち回ることが要求されてくる。社内稟議を上手く通す方法や、根回しの仕方などに時間を割く今の仕事は、子ども達に胸を張れるのだろうか……とまで思い詰めていました」
分岐点3:自分のキャリアを見つめ直し、40代での初転職。スタートアップ企業へ!
- 編集長就任後、モヤモヤを抱えていた三谷さん。ここでご自身のキャリアについて、再度見つめ直します。
- 三谷さん「求められる仕事とやりたい仕事のギャップに悩んでいた期間、『この仕事をするのだったら、子育てを優先して、もっと子どもと一緒にいるべきだったんじゃないか』と、虚しさと後悔が押し寄せて。リモートワーク中でほとんど人がいない会社でワーワー泣いてしまったんです。
このままではダメだと思い、まだ転職先は決まっていないけど『来年はここにいない』と、強く決意しました。そうでもしないと会社を辞められない性格でもあったので。
でも、たまに子ども達に『もっとお母さんは暇な仕事の方が良かったのかな?』と聞くと『いや、別にお母さんに家にいてほしかったとか求めてないから。お父さんいるし』とケロっとされています(笑)。ある意味私のキャリア選択を肯定してくれているのかなと、吹っ切れますよね。
だからこそ、自分のキャリアを考えるために、もう一度子育ての軸も見直しました。私にとって子育ての軸は、自分らしい仕事をして楽しく生きる背中を、子どもに見せること。なぜなら子どもにもそういう人生を歩んでほしいと思うからです。そのためには、新しいことに挑戦して、社会のためにインパクトがある事業をしたい。むしろそうしないと子供たちにも申し訳ない! と前向きになり、創業1年目のコンテンツ運営会社のPIVOTに転職を決断。新しいキャリアをスタートしました」
- では、三谷さんにとって“仕事”とは?
- 三谷さん「以前取材をした、発展途上国で無償の医療活動をしている小児科の吉岡秀人さんの言葉なのですが、仕事とは、自分が得意なことを発揮する場だと思っています。例えば私は事務処理能力が低いので、事務仕事だとすぐにクビになっていたはず(笑)。でも幸せなことに自分が得意なことに巡り合えたので、ここまで続けてこられました。この仕事を今後もやり続けようと思っています」
- 最後に、キャリアに悩む30代・40代の女性にメッセージをいただきました。
- 三谷さん「実は、以前も仕事にモヤモヤした時に転職活動をしたことが何度もあります。当時は応募しては落ちて撃沈するか、収入が大幅に下がるかで、なかなかいい企業に巡り合えませんでした。でも、会社を辞めると決意した昨年は、思ってもない企業からオファーいただくことも。以前よりも転職市場が30代・40代の女性に開かれていると感じました。ちょっと思い詰めたら気になる企業にエントリーシートを送ってみたり、転職エージェントに会ってみたりすると、視野が広がるかもしれません。転職活動じゃなくても、社内で新しい仕事に挑戦してみるのもアリ。新しい景色を見るために、モヤモヤした時は一歩踏み出す勇気を持ってください」
三谷さんの仕事への想い
「仕事とは“得意なこと”を続けること。悩んだ時こそ一歩踏み出す勇気を」
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写真:三浦えり
取材・執筆:菱山恵巳子