『どんな立場の人にも “選択肢があって当たり前”の社会を創りたい』<br>フローレンス・代表理事 赤坂緑さん【前編】のイメージ画像

マイキャリアストーリー

『どんな立場の人にも “選択肢があって当たり前”の社会を創りたい』
フローレンス・代表理事 赤坂緑さん【前編】

誰しも迷うキャリアの決断。先輩たちはいつ、何に悩み、どう決断してきたの? 現役で活躍し続ける女性たちに、これまでのキャリアの分岐点と、決断できた理由を語っていただきます。

今回は、認定NPO法人フローレンス代表理事の赤坂緑さんをインタビュー。フローレンス入職につながる、キャリアで感じたもどかしさや葛藤についてお話を伺いました。

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赤坂緑(あかさか・みどり)さん

認定NPO法人フローレンス 代表理事
1999年慶應義塾大学卒業。事業会社にてマーケティング・育成等を経験後、2014年1月認定NPO法人フローレンス入職。病児保育事業・保育園事業の事業部長を経て、2018年に役員就任。2022年9月に代表理事に就任。二児の母。キャリアコンサルタント・保育士。

「この働き方は続けられない」と会社員生活をいったん休止

ー 病児保育や障害児家庭支援事業、貧困家庭への食事支援や特別養子縁組あっせん事業など、子どもを取り巻くさまざまな問題に取り組む、認定NPO法人フローレンス。2022年9月より代表理事を務める赤坂緑さんは、かつてフローレンスの病児保育を利用していた一人です。 仕事と子育ての両立に悩んでいた10年前、フローレンスが発信するメッセージに共感し、入職を決めたといいます。
私が入ったときのフローレンスはまだ小さな組織で、”子育てと仕事の両立支援“を主な事業にしていました。入職した2014年は、日本で初めて、医療的ケアの必要な子を長時間保育する障害児保育園を立ち上げた年。働く親たちの選択肢を増やしていこうと挑戦を続けている姿に、この組織の一員になりたいなと思ったんです。
ー 入ったときには、「まさか自分が代表理事になるとは、1ミリも思っていなかった」と笑う赤坂さん。「“順調なキャリア”とはまったく違う進み方をしてきた」と話します。
学生時代は、将来やりたい仕事も入りたい会社もうまくイメージできていませんでした。ぼんやりとした中で、好きだなと思えたのが、当時アルバイトをしていた受験予備校の生徒たちから受ける進学相談でした。その予備校では『自分の学びたいことを自由に探していこう』という考えを大事にしていて、進学相談を通じて、生徒たちに対し、いろいろな選択肢をサポートできることがうれしかった。誰かの人生の選択やキャリアの可能性を広げられる仕事は何だろうと調べ、大学卒業後は人材サービス会社に入りました。
ー 入社して任されたのは、営業企画として販促ツールを開発することでした。当初描いていた仕事のイメージとは違ったもの、そこでマーケティングの面白さを知った赤坂さんは、程なくして通信販売会社に転職。ダイレクトマーケティングの仕事を約8年経験しました。
売り上げを追う毎日は刺激的でしたが、深夜残業が当たり前の働き方に、だんだんと疑問を抱くようになりました。子どもがほしいと思っていたけれど、この働き方では、子育てとの両立は難しいだろうな…と。不妊治療を始めたこともあり、治療に集中しようと会社員を一旦やめることにしました。

仕事か子育てか、二択じゃない社会を目指すビジョンに共感

ー マーケティングの仕事をしながらも、「密かにキャリア支援の仕事にも未練があった」と、20代でキャリアカウンセラーの資格をとっていた赤坂さん。ボランティアとして大学の就職相談を行っていたこともあり、通信販売会社を退社後は、業務委託として、キャリア相談や大学のキャリア関連授業の講師を担うようになりました。 ただ、妊娠・出産を経て、このフリーランスとしての働き方にも難しさを感じるようになります。
授業は絶対に穴を開けられないので這いつくばってでも行くしかありません。そのためにフローレンスの病児保育を利用していたのですが、『子どもに何かあっても、仕事は動かせない』というプレッシャーに常にさらされていました。
ずっとフリーランスでやっていこうという覚悟もなく、特出した能力の持ち主でもないというコンプレックスもありました。本当は組織で働くほうが向いているだろうなと思っていたとき、フローレンスで求人があると知ったんです。入れたのはとても幸運な出来事でした。
ー フリーランス期間中に、妊娠・出産・子育てを経験した赤坂さんは、フリーランスで子どもを育てる大変さに直面しました。そこで感じた課題感も、フローレンスで働きたいと思った一つの理由になっているといいます。
フリーランスは(労働基準法によって定められた)産休・育休制度の対象外で、保育園に預けるには、『仕事があって収入がある』という証明書類が必要です。当時は待機児童問題も深刻だったので、平日は仕事をしているということを示して、“(入園の優先順位を上げるための)点数”を稼がなければいけませんでした。そのために、高いお金を払ってベビーシッターを雇い、“仕事に復帰するための仕事”を在宅でしていました。
フリーランスは自分たちで頑張ってね、と突き放された思いでした。だからこそ、どんな立場の人も仕事と子育てを続けやすい環境は作れないのだろうかと考えるようになりました。
ー 病児保育も今ほど充実していなかった当時、「働きながら子育てをする」ことの苦しさを感じていたという赤坂さん。両立支援事業に力を入れていたフローレンスのビジョンに、自分の想いが重なったといいます。
子どもが生まれても、仕事にも趣味にもチャレンジできる社会にしていこう。二択じゃない社会を当たり前にしていこうという思いに、すごく共感したんです。
会社員時代に比べたら、給料は下がりました。でも、出産や子育てを通じて選択肢が狭まっていくように感じた当時の苦しさが自分の中に深く刻まれていて、その原体験が、今も仕事のモチベーションになっています。

(→後編に続く)








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写真:龍ノ口 弘陽
取材・執筆:田中 瑠子

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