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マイキャリアストーリー

『目の前の仕事を積み上げながら、“志”は大きく、目標を持ち続けてほしい』
株式会社産業革新投資機構 執行役員 ファンド投資室長 秦由佳さん【前編】

誰しも迷うキャリアの決断。管理職として活躍する女性はいつ、何に悩み、どう決断してきたのか。キャリアの分岐点と、決断できた理由を語っていただきます。

今回は、株式会社産業革新投資機構で執行役員 ファンド投資室長を務める秦由佳さんにお話を伺いました。

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秦 由佳(はた ゆか)さん

株式会社産業革新投資機構 執行役員 ファンド投資室長
日本証券アナリスト協会認定アナリスト(CMA)
慶應義塾大学環境情報学部卒、HEC経営大学院(フランス)でMBA取得
ジャフコに入社後、外資系投資顧問を経てMBAを取得したのち、みずほコーポレート銀行 ロンドン法人にてLP投資に従事。2007年に帰国後は、野村アセットマネジメントおよびその子会社にて、日本国内でのゲートキーパー業務を本格的に開始。その後、ニッセイアセットマネジメントにてプライベート・エクイティ投資の共同ヘッドとして、欧州中小型バイアウト、GPマイノリティ出資、セカンダリー、国内VC投資など幅広い領域を担当。
2020年7月より産業革新投資機構(JIC)に参画し、LP投資チームの立ち上げを主導。日本の産業競争力強化とPE・VC投資のエコシステム醸成に取り組む。

「父のような“経営者”を支える仕事がしたい」と、ベンチャーキャピタリストを志した

大学卒業後、女性キャピタリスト第1号として、ジャフコでキャリアをスタートさせた秦由佳さん。LP投資(※)領域で実績を重ね、2020年7月から産業革新投資機構(JIC)に参画。LP投資チームの立ち上げを主導してきたほか、次世代の女性投資家の育成にも力を注いでいます。

※LP(リミテッド・パートナー)は投資ファンドに資金を提供する投資家のこと。LP投資は、ファンド運営には関与しない有限責任を持つ投資方法を指す
「JICは、産業競争力強化法という法律に基づいて2018年に発足した会社です。日本の産業競争力が弱まっていく中、ベンチャーキャピタルなどへの出資を通じた起業家支援と、バイアウト(事業承継や再編などで利用される、経営権を移転する取引。M&Aの一形態)による競争力の強化が、JICの大きな2つの役割。私はファンド投資室長として、これからの新たな産業を盛り上げていくスタートアップ起業家たちの支援に力を入れています」
ベンチャーキャピタリストから始まり、今のファンド投資統括の立場まで一貫してキャリアを築いてきました。世の中に「ベンチャー」や「スタートアップ」という言葉すら登場していなかった90年代半ばの大学時代から、「“経営者”を応援し、支える仕事に就きたい」という思いを持っていたと言います。
「私は、父が一代でビジネスを築いた家庭に育ちました。立ち上げから、事業を軌道に乗せていくプロセスを見て育ち、幼少期に『資金繰りが厳しい』と両親がコソコソ話していた様子もなんとなく覚えています。銀行の方に頭を下げていた父が、やがて頭を下げられる側になっていく。銀行員って調子が良い人たちだな…と思う、少しひねくれた、変わった子ども時代を過ごしました」
中高時代は、テレビで経営者の事業立ち上げを追ったドキュメンタリーを見るたびに感動して泣いていたそう。「経営者という存在に強く興味を引かれていた」と振り返ります。
大学時代は、周りが就職活動を始める3年生のタイミングでイギリスへの語学留学を経験。そこで友人に教えてもらったのが、“ベンチャーキャピタリスト”という仕事でした。
「もともと海外への憧れが強く、いつかは留学したいと思っていました。でも、入学後に帰国子女の友人たちの語学力に打ちのめされ、2年間は英語を避けて過ごしました(笑)。就職活動時期が近づいてくると、みんなが同じリクルートスーツに身を包み、説明会に行って面接を受けて…と物事が動いていくことに疑問を持ち始めました。このまま流されるように卒業して良いのだろうか。やりたかったことをやらずに学生生活を終えてはダメだと危機感を持ち、両親を説得して留学をさせてもらいました」
イギリスの大学ではディベートベースな授業も多く、自分の意見や考えを活発にぶつけ合う「目が開かれるような」体験を重ねた秦さん。そんな教育環境に身を置く中で、「自分はこれからの人生をどう過ごしたいのか」をじっくり考えるようになったと言います。
「私はやはり、父のような“経営者”を応援する仕事に就きたい。その思いを留学先で出会った友人に話していたら、なんと、その友人のお父さんがベンチャーキャピタリストだったんです。起業する人を支援していく仕事があると知り、『まさにそれがやりたいことだ』と調べ始めると、シリコンバレーでベンチャーキャピタリストが活躍していることがわかった。大学4年生の春に帰国しすぐに大学の就職課に行き、『ベンチャーキャピタリストになるにはどうすれば良いか』と相談しました」
そもそも“ベンチャーキャピタル”の概念が社会に浸透していなかった当時、「ベンチャーキャピタリストになりたい」と言う学生の存在は珍しく、「就職課も驚いていました」と笑います。ベンチャーキャピタル企業数社に直接電話で問い合わせる中で、“初の女性キャピタリスト”採用へ動き出していたジャフコへの入社を決意。今につながるキャリアが始まりました。

ロールモデルがいないなら、自分でキャリアを切り開いていく

同期の中で総合職の女性は秦さん一人。「仕事は誰かから降りてくるものではない。自分でとってくるものだ」というカルチャーの中、心身ともに鍛えられた20代を過ごしました。
「自分でマーケット分析や情報収集、ネットワーク拡大をする必要があり、毎日泥臭く街中を走り回っていました。シリコンバレーでスマートに働いているようなベンチャーキャピタリストのイメージを持っていたのですが、現実はまったく違いました。でも、社会人1年目から自立して動くことを求められ、中小企業の経営者たちに対峙できる環境に身を置けたこと、案件発掘から投資実行まで任されたことは、確実に私を成長させてくれました」
ジャフコで約4年半過ごしたのち、外資系投資企業を2社経験。同じ“外資系”でも、深夜1時まで会社にいるのは当たり前…といった非常に長時間労働の環境から、仕事を終えて定時になれば全員が退勤するドライな環境まで、真逆の職場に身を置いたと言います。
「20代後半を振り返れば、あまりのハードワークに心身ともに限界に近い状態で、何とか自分を奮い立たせていたと思います。投資案件を自ら動かしていくフロント業務は面白く、でも『この働き方は続かない』という限界も感じていて…。また、海外で運用しているプロダクトを日本のマーケットに展開していくという業務には物足りなさがありました。30歳前後は、仕事内容も働き方も、何がやりたかったんだろうと悩みを深めていました」
プライベートでは20代後半に結婚。早朝から深夜まで仕事をするような激務の日々だったそうです。「当時は、結婚を機に退社する人も珍しくなかった」という社会背景もあった中で、頑張り続ける原動力は何だったのでしょうか。一つには、「母によく言われていた言葉」があったと振り返ります。
「両親ともに、私がどのような仕事をするとか、どのような働き方を選ぶかに口出しすることはありませんでした。でも母はいつも『女性でも経済的に自立しなさい』と言っていた。手に職をつけ、稼ぐ力を持つことで、人生がどう転ぼうと生きていけるから、と。おそらく、母自身が周りの友人たちのいろいろなケースを見聞きしてきたのでしょう。その”教え“は、私の人生の価値観としてしっかり根付いています」
また、「“キャリアを極めたい”という大前提があった」ことも、今につながる指針になっています。
「ベンチャーキャピタリストを志したときから、“働き続ける”ことは当然の選択肢でした。ロールモデルが存在する時代ではなかったので、自分でキャリアを築いていくしかない。どうすればステップアップし続けられるだろう、その領域の第一人者になれるのだろうと考え続けていました。
そもそも就職活動で、女性であるだけで門戸が限られる経験を何度もしました。だからこそ、一貫したキャリアを築き、ブランクのない“きれい”な履歴書を書けるようにしておかないと、転職が難しくなるという思いがありました。自分の活動や実績が、マーケットからどう見られ、どのような評価につながるのか。周りからの視点を常に意識していましたね」


→「後編記事」につづきます。





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写真:MIKAGE
取材・執筆:田中 瑠子

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