『長野への移住で得た家族の時間と新たなキャリア』<br>セイコーエプソン株式会社 サステナビリティ推進室 鴨崎志保さん【後編】のイメージ画像

マイキャリアストーリー

『長野への移住で得た家族の時間と新たなキャリア』
セイコーエプソン株式会社 サステナビリティ推進室 鴨崎志保さん【後編】

誰しも迷うキャリアの決断。先輩たちはいつ、何に悩み、どう決断してきたのか。管理職として活躍する女性たちに、これまでのキャリアの分岐点と、決断できた理由を語っていただきます。

今回は前回に引き続き、セイコーエプソン株式会社でサステナビリティ推進室課長を務める鴨崎志保さんにお話を伺いました。

鴨崎 志保(かもざき しほ)さん のイメージ画像

鴨崎 志保(かもざき しほ)さん

セイコーエプソン株式会社
サステナビリティ推進室 課長

農学系の学科を卒業し、20代は環境分野、特に当時2000年代の主流であった公害対策や環境アセスメント評価、官公庁や自治体の環境施策に関連するコンサルティング業務に約6年従事。その後、市民参加型のエコアクションを創出する、株式会社とNPOの両輪経営を実現している組織へ転職。事務局長としてマネジメント全般を担う一方、役員や理事として経営者の視点での組織運営に力を注ぐ。2021年9月にセイコーエプソンへ入社。2024年4月より課長ポジションに就く。 二児の母。

子どもの学校選択を機に、長野への移住を決意

セイコーエプソンと出会うきっかけになったのは、家族で埼玉県から長野県へ移住したことでした。縁もゆかりもなかった長野県への移住の決め手は、子どもの学校だったそう。県内に新しくできた小学校の教育方針に共感したことを機に、前職を辞め、家族との時間を優先しようと大きなライフキャリアの転換に踏み切りました。
「前職で、ちょうど私の役割を引き継げる方が入ってきてくださったこともあり、『私の役割もおしまいかな』と思えたタイミングでした。また、それまでの経験や人脈のおかげもあって、『一緒にプロジェクトをやってほしい』と言ってくださる方もいて、個人事業主として環境コンサルタントの仕事を続けられる見通しがありました。あとは、前職では、片道1時間半かけて通勤していたのですが、子育てとの両立に大変さを感じることも多く…。家族との時間をもっと自由にとるための選択が、私にとっては“長野への移住”でした」
以前の鴨崎さんは、“母親”の役割を全うすべく、平日の家事や土日の遊びも含め、すべてスケジュール化された毎日を送っていたそう。移住をしたことで、家族との時間は長くなり、関係性の変化もあったと話します。
「在宅で仕事ができる環境になり、家族とは“一緒に暮らしている”と、より感じられるようになりました。私が子育ての中で大切にしたい想いは、レイチェル・カーソンの遺作にある「sense of wonder」そのものなのですが、遊び場にしている森で子どもが新しい発見をしたときに、一緒になって自然の神秘さや不思議を楽しみ喜べる。そんな日々の出来事や余白が、親としての幸福感にもつながっています」

次世代の挑戦に、背中を押していく存在でありたい

セイコーエプソンに入社する前の約1年間は、個人事業主として新規プロジェクトの組成などを手掛けていた鴨崎さん。子どもが学校に慣れてきたタイミングで、もう一度、チームで大きな成果を生み出せる環境に身を置きたいと考えるようになりました。
「当時は40代前半。人生100年時代と考えたときに、まだまだ人生は長いと思ったんです。個人事業主は、自分の力が仕事のインパクトの上限になってしまうところがあり、『チームとして大きなインパクトをもたらす仕事をやりたい』、『環境分野の経験を生かしてサステナビリティに領域を広げてチャレンジがしたい』と考えるようになりました。

さらに、せっかく長野に移住したのだから、地元の企業で地域に根差した環境で仕事をしてみたいという思いもありました。そんな思いを実現できる働き方を探していたところ、長野発のグローバル企業であるセイコーエプソンがサステナビリティ推進室のポジションを募集しているという情報を得ました。

セイコーエプソンは環境経営を掲げている点で、企業研究の対象になることも多い会社です。1988年には世界に先駆けてフロンレスを宣言。93年に全世界で洗浄用特定フロンの全廃を達成しています。環境課題を自分たちの力で払しょくしてきた活動の経緯があり、本質的かつ先進的な取り組みをしている会社が長野にあったことは、本当に幸運でした」
入社後は、鴨崎さんのキャリアの中でも、またセイコーエプソンの歴史を見ても、“前例のない取り組み”に携わることが多くありました。例えば、サステナビリティ領域に特化した投資家向けのESG説明会の開催。会社としても初めての取り組みで、そこで得られた課題を経営陣と共有していく新たな形を構築していきました。
2024年4月からは課長ポジションに就き、3人のメンバーのマネジメントを担当。20代の頃から組織マネジメントの経験を持つ鴨崎さんですが、「今になって、多様なメンバーのいいところを引き出していくマネジメントの大切さを学んでいる」と話します。
「1社目の環境コンサル会社も、前職のNPOも、小規模な組織ゆえに裁量権が大きく、自分が全責任を持って意思決定をすることが多くありました。20代の頃は自分のやり方を押し付けて、周りを疲れさせちゃっていたという反省もあります。
今は、自分が旗を振ってメンバーを引き連れていくのではなくて、背中を押していける人でありたい。次の世代が新しいチャレンジをするときに、足りない部分を補完できる人でありたいなと思っています。
『多様な考え方や価値観を持った人が集まって成果を出すには、それぞれのいいところを引き上げていかないと難しい』。そんな新たな気付きを得ながら、まだまだ学ぶことがたくさんあるなと痛感しています」

目の前に来たチャンスは素直に受け入れる

子どもの頃からの興味関心から始まり、環境分野での経験と実績、サステナビリティ領域への挑戦と、一貫してキャリアを歩んできているように見える鴨崎さん。しかし、鴨崎さん自身は「立派に計画して進んできたわけでは全然ない」と語ります。
「振り返ってみると、いつも、『自分にとって最適なタイミングでチャンスが降ってきた』と感じています。課長職になったのも、周りの方に引き上げていただいたからです。
最近は、社会全体で“女性管理職比率を上げよう”といった動きもあって、チャンスが広がっていますが、その一方で、『自分は下駄を履かせてもらっているだけなのでは…』と後ろめたさを感じてしまう方もいるかもしれません。でも、どんな経緯があろうと、オファーが来たのなら、それは自分がそれまで頑張ってきたことが認められたということ。『これまでの頑張りに応じたチャンスが降ってきた』と素直に受け入れてみてほしいと思います。

私自身も、降ってきたチャンスに乗ってみたら次の道が開けた、と思うことがたくさんありました。もちろん、常日頃から、自分の幅を広げるための準備をしておくことは必要です。でも、わくわくできそうな選択肢が目の前に来たのなら、たとえ、十分な準備ができていなかったとしても、全部やってみたらよいのではと考えています。私も、チャンスに尻込みせず、これからもセイコーエプソンで最大限チャレンジしていきたいと思っています」

「前編記事」





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写真:マヤ
取材・執筆:田中 瑠子

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