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マイキャリアストーリー

『挫折だと思っていた決断から新たな機会が広がった』
フィル・カンパニー 代表取締役社長 金子麻理さん【前編】

誰しも迷うキャリアの決断。先輩たちはいつ、何に悩み、どう決断してきたの? 現役で活躍し続ける女性たちに、これまでのキャリアの分岐点と、決断できた理由を語っていただきます。

今回は、空間ソリューション事業を手掛ける株式会社フィル・カンパニー代表取締役社長・金子麻理さんをインタビュー。外資系IT企業から米国公認会計士の資格取得、アメリカでの起業、社長就任へ、多様なキャリアの変遷についてお話を伺いました。

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金子麻理(かねこ・まり)さん

株式会社フィル・カンパニー 代表取締役社長

外資系I T企業で長く務めたのち、渡米。その間、一橋大学大学院にて経営の修士号を修めるほか、2度目の渡米時には現地にて新規事業を興す。 2014年1月にフィル・カンパニーに入社。翌2月から、常勤監査役に就任。IPOに向けた社内監査業務に専念し、東証マザーズへの新規上場の立役者となる。2023年2月に代表取締役就任。

新卒入社の会社を退職。「キャリアは終わった」と思った

- 駐車場の上部空間をうまく活用しなければ“もったいない”-。そんな新たな発想をカタチにする空間ソリューション事業で成長を続ける株式会社フィル・カンパニー。駐車場の上部空間を店舗利用する空中店舗「フィル・パーク」や、ガレージ付賃貸住宅「プレミアムガレージハウス」を展開し、東証プライム市場への上場も果たしています。

米国公認会計士をはじめ会計のバックグラウンドを持つ金子麻理さんは、2014年に同社に入り、常勤監査役としてIPOに向けて尽力しました。組織体制の変更を機に、2023年2月に代表取締役社長に就任。フィル・カンパニー独自の土地活用で、「オーナー様、テナント様、店舗利用する地域住民の皆様、全員をハッピーにしたい」と話します。
「事業戦略の立案や推進・メンバーマネジメントは、各領域のプロフェッショナルである経験豊富な執行役員たちに任せています。私は、会社として目指す方向を示し、全体をまとめていく役割。経営を担う思いがけないチャンスに恵まれ、これまで得てきた経験やスキルをすべて、会社の発展のために注いでいきます」
- もともとは、会計のバックグラウンドを持つ金子さんのキャリア。どのように変遷して今につながっているのでしょう。
「大学卒業後に選んだのは日本IBMでした。当時は、男女雇用機会均等法が施行されて間もないとき。女性が応募できる企業も限られていました。
大学まで性別に関係なく肩を並べて勉強していたのだから、社会に出ても対等なビジネスパーソンとして働き続けたい。1社目の選択を間違えてしまったら一生報われないという危機感がありました。福利厚生やカルチャー面で、男女で差がつかない環境を選ぼうと、必死に企業研究をした結果、条件をもっとも満たしていたのが外資系IT企業でした。少ない選択肢の中で、ここしかないと思ったのが日本IBMだったんです」
- 入社した日本IBMは、思い描いていた通りのフラットなカルチャーで、「性別を意識することなく働ける、理想の環境だった」と振り返ります。産休・育休を経て復帰する先輩社員も多く、金子さんも30代前半までに2人の子どもを出産。制度を活用し、仕事に復帰したといいます。
「この会社で働き続けることが、自分のキャリアを伸ばしていくことに繋がると心から信じていました。出産もクリアしましたし、このまま家族と協力し合いながら子育てとの両立も続けていける!と思っていました。
ところが、30代に入ったとき、商社勤務だった夫の社内海外留学が決まったんです。当時は、妻や子どもは“夫についていく”ことが当たり前という時代。妻のキャリアは、夫のキャリアを壊さない範疇で築くもの、という前提がありました。事実上、私には、会社を辞める以外の選択肢がなく、家族で渡米することになりました」
- 選びに選んで入った会社でのキャリアを、手放さざるを得なかった金子さん。「ビジネスパーソンとしてのキャリアは終わった」と思うほどの決断でしたが、渡米後の出会いをきっかけに少しずつ考え方が変わっていきました。

「何をして生きているの?」の問いが、自分の可能性に気付かせてくれた

「アメリカに行くと、世界中から留学に来ている20~30代の社会人の方や、駐在中の家族のコミュニティメンバーなどから、『What do you do?』と会うたびに聞かれるようになりました。
『What do you do?』は、あなたは何をして生きているの?というニュアンスの、職業にまつわる質問です。私は当時、ただ家にいるだけで何もしていなかったのですが、周りは仕事や地域活動などを通じて何かしら自分の居場所を持ち、それぞれの取り組みについて答えていました。その様子を見て、私にもできることはあるはずだと思えるようになりました」
-2年後に帰国し、母校・一橋大学大学院で会計の勉強を始めたという金子さん。もともと大学時代から経営を学び、在米中にも、外部参加が可能な大学の会計の授業を受けていたといいます。「資格を取れば何かしらのチャンスが生まれるかもしれないし、アカデミックな道に進んでも面白いかもしれない」。What do you do?に答えられる自分になるための第一歩として、大学院修士課程を修了しました。

その後、夫のアメリカ勤務が決まり、今度は長期で渡米することが決まりました。「また違う道が開けるかもしれない」と、最初の渡米とは全く違うポジティブな気持ちだったといいます。
「せっかく学んだ会計の知識を生かそうと、米国公認会計士の資格を取得し、日系企業で働く機会を得ることができました。そこから、アメリカで約10年暮らしたのですが、それは、2人の子どもたちがアメリカの大学に進学したいと言ったから。彼らの意向にそって私はアメリカに残り、夫は日本に戻るという選択をしました」
- 家族それぞれが、それぞれの場所でやりたいこと・やるべきことをやっている。自分にもこの地でできることがあるのではないかと考えた金子さんが、次に起こした行動は「起業」でした。
「立ち上げたのは、日本食材の小さなコンビニのようなものです。当時住んでいた場所には、日本人の駐在員が多く、日本の補習校の子どもたちも数百人いるような地域でした。日本食材やお惣菜のニーズは確実にあるだろうと店舗を作り、『やりきった!』と思えた2013年に、事業譲渡を決めて帰国しました。子どもたちはアメリカで就職することを決めて、ようやく子育ても終了です。次は何をしよう、と思いながら帰国したところ、たまたまフィル・カンパニーとの出会いが舞い込んだのです」

→「後編」に続きます。





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写真:MIKAGE
取材・執筆:田中 瑠子

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