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マイキャリアストーリー

『迷ったら“心が躍る”道を選ぶ』
LITA・代表取締役社長 笹木郁乃さん【後編】

誰しも迷うキャリアの決断。先輩たちはいつ、何に悩み、どう決断してきたの? 現役で活躍し続ける女性たちに、これまでのキャリアの分岐点と、決断できた理由を語っていただきます。

今回は、前回に引き続き、PR代行事業やPR塾の運営を手掛ける株式会社LITA代表取締役社長・笹木郁乃さんをインタビュー。独立・起業を決めた思いや、葛藤を経て見つけた自分らしい働き方について、お話を伺いました。(前編はこちら

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笹木郁乃(ささき・いくの)さん

株式会社LITA 
代表取締役社長

1983年、宮城県生まれ。山形大学工学部卒業。愛知県の自動車部品メーカーに研究開発職として勤務後、寝具メーカーのエアウィーヴや鍋メーカーの愛知ドビーでPRを担当し、売上拡大に貢献する。2016年に独立し、2017年にPR会社(現・株式会社LITA)を設立。企業向けのPR支援や、経営者や個人事業主にPRスキルを伝える「PR塾」などを展開している。著書に『SNS×メディア PR100の法則』(日本能率協会マネジメントセンター)、『0円PR』(日経BP)など。

女性のキャリアの悩みに寄り添って見出した
「可能性開花に貢献する」というゴール

ー バーミキュラのPRを経て、2016年に独立、翌年に会社を設立した笹木さん。 独立や起業について、「以前は選択肢にすらなかった」そう。会社員以外の働き方に目を向けるようになったきっかけは、息子さんの存在だったと話します。
前職は出社が基本の製造業で、仕事は朝のラジオ体操から始まりました。毎朝、分刻みで家事や身支度を終えて家を出て、息子を保育園に送り出し、必死で出社をして、始まるのがラジオ体操。ラジオ体操に罪はないのですが(笑)、この働き方を何年も続けるのは難しいと、日に日に感じるようになりました。
ちょうどその頃から、個人向けのPRコンサルを細々とスタートさせていたこともあり、フリーランスで生きる道もあるのではないかと独立を決めました。
ー スモールスタートで始めた個人向けPRコンサル。当初は、PR事業での法人化までは考えていなかったそう。しかし、PRコンサルを行う過程で、多くの女性のライフデザインに寄り添った経験が、今の会社の事業の土台になっていると話します。
SNSなどで、個人向けにPRコンサルします、と発信すると、『仕事と子育ての両立で悩んでいるので、今後の自分の見せ方を一緒に考えてほしい』など、女性のセルフブランディング観点でのPRコンサルを求められることがすごく増えていきました。
同様の声が多いのなら、1対1ではなくて、1対複数で発信できる場を作ろうとPR塾を始めたら、どんどん入塾者が増えていった。受講生も、PR担当者をはじめ、PR職での転職を目指す専業主婦、起業を考えている方、経営者など、そのバリエーションは様々。このPR塾を通じてPRのプロフェッショナルが次々と生まれるようになりました。

ー その後、活動実績を認められ、企業からもPRコンサルの依頼が入るようになります。法人化を決めたのは、取引先の企業から「法人化した方が契約しやすい」と言われたからでした。こうして、“会社”という枠ができたことで、笹木さんの中に新たな挑戦心が芽生えていきます。
法人化する前から、目の前の人から『ありがとう』と感謝され、人の変化を目の当たりにできるPRコンサルの仕事はとてもやりがいがありました。一方で、“自分とお客様”という少数単位でできることには限りがあります。せっかく会社を立ち上げたのなら、大きな志に向かって、世の中に影響を与えていく存在になりたい。そのためには仲間が必要だと、社員を少しずつ増やしていきました。
今は『全ての人・企業の可能性開花に貢献する』を企業理念に据え、会社の事業を通じて、できないと思っていた仕事ができるようになった人、経済的に自立して自信がついた人を増やして行き、“女性が活躍する社会”を当たり前にしていきたいと考えています。
ー 目指すゴールに向けては、事業の売上の面でも組織づくりの点でも「まだまだ課題だらけ」と笑います。 とくに、組織づくりにおいては、笹木さん自身ずっとプレイヤーだったこともあり、メンバーのマネジメントには戸惑いが多かったと話します。
プレイヤーとして自分のやり方で突っ走ってきたこともあり、会社を始めた当初は組織のルールも特に設けていませんでした。そのため、“PRのフリーランスの集まり”といった雰囲気で、それぞれが好きなように、やりたいクライアントを選んでいくスタイルでした。でも、バックグラウンドが多様なメンバーが増えていくと、ある程度組織のルールがなければまとまりません。良かれと思ってルールを増やしていくと、今度は、自由にやってきた既存メンバーが窮屈さを感じて離れていきました。
今思えば、一つひとつ『こんな意図で、こういうルールを作りました』『こんなことを実現したいので、こう変えたいです』と私の思いを伝えるべきだったんです。メンバーを信頼して寄り添う人間力が全然足りなくて、コミュニケーションが取れていなかった。自分が相手を信じないと相手も自分を信じないし、自分から相手を好きにならないと、相手も好きになってくれない。そのことに気付いてから、組織が段々とまとまるようになりました。

週4日東京、週3日愛知の2拠点生活
仕事と家庭とのベストな両立を保てている

ー さまざまなリーダーのスタイルやあり方を模索する中で、笹木さんの出した答えは「リーダーの個性に合わせて組織を作ることが、組織の成長につながる」ということ。自ら発信し、夢を語り、自社のブランディングを考えていくことが、笹木さんにとって“最もワクワクする”ことであり、それを追求することが、会社を元気にしていくと考えています。
メンバーマネジメントは、その領域で経験のある、優秀なリーダーを信頼して任せています。私は、自分が得意とする社内外へのメッセージ発信に力を入れていく。そう役割分担を進めたことで、経営者としての仕事がますます楽しくなりました。
ー 現在、平日の週4日は東京に単身赴任、土日含む3日は家族が住む愛知に戻る2拠点生活を続けている笹木さん。「子育てとの両立のために会社員を辞めたのに、たどり着いた働き方は想定外だった」と笑います。
夫の勤務地が愛知県内なので、家族全員での引っ越しは非現実的でしたし、一方で自分の会社の事業成長を考えると、東京に拠点を置くのは必須だと考えました。それならば私が、“仕事に費やす時間”と、“家族と向き合う時間”をきっちり分けて、両立させるやり方が最適ではないかと思ったんです。
やってみるまで不安はありましたが、息子は友達に『僕のお母さんは社長で、東京で働いているんだ!』とよく自慢げに話しているらしいです(笑)。週末に家族と過ごすときは、仕事のことは一切持ち込まないので、私もすごく穏やかに優しくなれる。仕事も家庭も生活も、すべてに後悔なく全力で向き合いたいと思う私に、今の生活はとても合っているなと思っています。
ー 常に、自分にとって心地よく、ワクワクする環境を求めて動き続ける笹木さん。取材の最後に、判断に迷うとき拠り所となる軸は何か尋ねると、そこにはやはり“小学2年生時の原体験”があると話してくれました。
あのとき、『20歳までに無事生きられるか』と突きつけられた経験は本当に大きかった。いつ死んでも後悔しない道を選ぼうと、自分の気持ちに真っすぐに選択し続けてきた結果、今があると感じています。今の働き方に対しても、わざわざ家族と離れて東京に出ていかなくてもいいじゃないかという意見もあるでしょう。でも、後悔しない道は何かと自問したら、“東京に出る”以外の答えはなかった。これからも、心が動かされる方へ真っすぐ進んでいきたいと思っています。








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写真:龍ノ口 弘陽
取材・執筆:田中 瑠子

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