『不安を先回りして抱えず、流れに身を任せたら良い』
Fusion Trade Japan合同会社 日本法人統括責任者 矢野明歌さん【前編】
誰しも迷うキャリアの決断。管理職として活躍する女性はいつ、何に悩み、どう決断してきたのか。キャリアの分岐点と、決断できた理由を語っていただきます。
今回は、Fusion Trade Japan合同会社 日本法人統括責任者の矢野明歌さんにお話を伺いました。
矢野 明歌(やの めいか)さん
Fusion Trade Japan合同会社 セールスディレクター/日本統括責任者
大阪府出身。新卒で関西の広告関連企業に入社後、サイバーエージェントへ転職。夫の転勤に伴い中国・瀋陽、その後韓国へ移住。2019年、独立系半導体商社Fusion Worldwideの韓国法人に日本向け営業として入社。2022年、日本オフィス立ち上げのため帰国し、Fusion Worldwideの日本法人の設立に携わる。現在はFusion Trade Japan合同会社の統括責任者として、営業組織のマネジメント、日本市場における事業戦略の立案、米国のグローバル本社への市場レポーティングを担っている。
人のつながり、タイミングがキャリアを作っていった
- 2001年、アメリカで独立系半導体商社として創業したFusion Worldwide。世界的なネットワークを強みとし、入手困難な半導体や電子部品をグローバルに調達し、自社の品質検査管理施設で検査を行ったうえで、多くの顧客のニーズに応えてきました。現在はアメリカ、ヨーロッパ、アジアの15カ国23拠点に展開し、2022年には日本法人であるFusion Trade Japan合同会社が誕生しました。
矢野明歌さんは、日本法人の統括責任者として法人立ち上げにゼロから携わり、営業メンバーのマネジメントから売上戦略の立案、米国のグローバル本社への市場レポーティングまで、Fusion Trade Japanと米国のグローバル本社をつなぐ要の役割を担っています。
- 学生時代には個人事業主としてアクセサリーのECショップ経営を経験し、大学卒業後は広告業界でキャリアを積んだ矢野さん。現在の「外資系 半導体専門商社」とは、まったくつながりのない場所にいたそうです。
- 「高校生のときにアルバイトを始めて以来、さまざまな仕事を経験してきました。振り返ってみるとあらゆる業種の仕事を経験したのではないかと思うほどです。それ以外にも、韓国旅行に行ったときに市場で見たショップに憧れたことをきっかけに、アクセサリーショップも開きました。当時から、とにかく働くことが大好きだったのだと思います」
- 昔から働くことが大好きと語る矢野さん。でも、大学時代、就職活動はほとんどしていなかったそう。
- 「自分のアクセサリーショップをどんどん大きくしていこうと考え、就職活動はほとんど行いませんでした。でも、ショップ経営をする中で出会ったある企業の方から『副業として、自分のショップを続けても良いので、うちに入社しないか』と誘われ、入社を決めました。当時は、副業を認めてくれる会社は、まだまだ少なかったと思います」
- 新卒入社した会社では、イベントの企画・運営や店舗の多店舗展開に携わった矢野さん。新規出店に向けた営業活動にも力を注ぎ、こうした経験を通じて、営業力や企画力、実行力を培いました。その後、地元・関西から東京に行きたいと考えるようになった矢野さんは、折よく、友人が働いていた広告代理店へ誘われ、リファラル採用が決まりました。
- 「上京と共に、Web広告営業という新しい世界に飛び込んだわけですが、寝る時間も惜しんで働くくらい、非常にエネルギッシュな毎日を過ごしていました。自分で動けば動くほど業績が上がり、数字がついてくる広告営業の仕事が楽しかったのだと思います」
夫の転勤で中国、韓国へ。「自分の仕事を持っていたい」と再認識した
- エネルギッシュに働いていた矢野さんでしたが、20代後半にキャリアの大きな転機を迎えます。パートナーの仕事の都合で、中国・瀋陽への引っ越しを決めました。
- 「過労で体調を崩したのですが、ちょうどそのころ、中国に行く話があがりました。“自分の仕事を持っていたい”という気持ちは変わらず自分の中にありましたが、『今は身体を休めてゼロリセットするときなのかもしれない』と、割とすんなりと仕事を辞める決断をすることができました」
- 現地の言葉を十分に話せないまま始まった新天地での生活。瀋陽で矢野さんは、就職活動や日本語教師の仕事に挑戦し、自分の世界を何とか広げようと手探りで動き回りました。
- 「最初はすべてが新鮮でわくわくしました。でも1か月経った頃には、精神的に追い詰められていました。中国語が話せなかったので、現地の友達を作ることができなくて…。就職活動や日本語教師の仕事も、言葉の壁は大きく、どれもうまくいきませんでした。
今振り返ると、中国で過ごした2年間は“私は自分で仕事を持って働いていたい”と再確認できた時間でしたね」
- その後、再びパートナーの仕事の都合で、韓国に移住することになった矢野さん。そこでも、自分の世界を広げようと動き回りました。
- 「パートナーは韓国人で家庭では韓国語で話をしています。韓国の就職活動では日本語を話せることが自分の武器になるはず、と期待しました。でも、韓国には日本語を流暢に話せる優秀な方がたくさんいます。韓国企業の面接に行っても、単に日本語が話せるだけの人材は求められていないのだな、と伝わってきました」
面接で一目惚れしたロールモデル。半導体の知識ゼロからのスタート
- 働きたいのに働けない――。海外での仕事探しにもどかしさを感じる中、転職エージェントに勧められたFusion Worldwide韓国法人での出会いが矢野さんのキャリアを大きく動かしていきました。
- 「半導体はまったく知らない世界でしたし、英語が必須の米国系企業は私には無理なのではと、かなり及び腰でした。さらに、『韓国オフィスの責任者です』と出てきた方が30代の女性で、その若さと全身からあふれ出る自信とオーラに圧倒されました。
でも、私の話を前のめりになって聞いてくれて、『もっと聞かせてほしい』と質問を重ねてくれる。面接であることを忘れるくらい楽しい時間でした。1時間が過ぎたころには、この人が私のロールモデルだと、心の底から魅了されてしまいました」
- 矢野さんが入社を決めた2019年は、Fusion Worldwideが日本のマーケット開拓に力を入れようとしていた時期。面接を担当したのは、かつて韓国のマーケット開拓を一任され、韓国法人の立ち上げを経験した女性でした。
- 「そのときは日本法人を設立する計画自体はまだなかったのですが、彼女から、『ゆくゆく、あなたも、私と同じように日本法人を立ち上げることになるかもしれない』と言われたことは、入社を決める理由の一つになりました。
この女性のようになれるかもしれないと思えたとき、ぱっと世界が開けたような気がしたんです。自分の語学力や会社の扱う商材への不安はありましたが、それ以上に、“この人と働きたい”と心が決まりました」
→「後編記事」につづきます。
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写真:MIKAGE
取材・執筆:田中 瑠子





