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仕事に効く話

ケニアの障がい児療育施設「シロアムの園」園長・公文和子さんに聞く、海外で働くきっかけとキャリアの築き方

国際女性デー特別企画として、ケニアの首都ナイロビ近郊にある障がい児療育施設「シロアムの園」園長で小児科医の公文和子さんに特別インタビューを実施しました。
医師としての専門性を軸に、教育・福祉の現場を立ち上げ、グローバルに活躍する公文さん。前編では公文さんのこれまでのキャリアと海外でのマネジメントで大切にしていることを伺いました。

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公文和子さん(くもん かずこ)

1968年生まれ。88年に北海道大学医学部入学。94年、小児科医として働き始める。2000年、イギリス・リバプールに留学し、1年間熱帯小児医学を学んだあと、シエラレオネへ。2002年からケニアで仕事をし、2015年、障がい児とその家族のための施設「シロアムの園」を設立。
シロアムの園HP:https://www.thegardenofsiloam.org/

「自分にとっての使命」を感じ、ケニアで障がい児施設を立ち上げた

ーこれまでのキャリアについて。そもそも小児科医を志された理由には、どのような原体験があったのでしょうか?
公文:私は両親がクリスチャンで、私自身もキリスト教を信仰しています。そんなバックグラウンドもあり、「他者のための仕事がしたい」と幼い頃から意識していました。もちろんどんな仕事も他者のための仕事だと思いますが、医者は患者さんと直接会うので、人の役に立っている実感を得やすいですよね。

中学・高校生時代には、病気に罹った方やそのご家族の手記をよく読んでおり、より具体的に「病気の方に寄り添う仕事をしたい」と思うようになりました。当時、様々な医療従事者とも出会いましたが、その中でも医者という仕事に一番魅力を感じ、医学部に進学しました。

医学部の5・6年時に専攻科を決めていく過程では色々と迷いましたね。大学の小児科の実習が面白かったこと、医局の雰囲気がよかったこと、また6年の夏にバングラデシュのスタディツアーに行き、その時出会った子どもたちに心惹かれ、小児科を専攻することにしました。

ー国際的な仕事がしたいという思いはあったのでしょうか?
公文:潜在的に国際的に働く道を考えていたのだと思います。幼い頃から教会などで開発途上国で働く方の話を聞く機会も多かったです。より困っている人々と共に生きる姿を見て、とても素敵だなと思っていました。

ーキャリアの中での「大きな決断」はどこでしたか?
公文:一つ目は、医局を辞めて海外に出た時です。2000年にイギリスに留学し、熱帯小児医学を学び、東ティモール、シエラレオネ、カンボジアでの医療活動を経て、2002年JICAのエイズ専門家としてケニアに赴任しました。

二つ目は2015年にケニアで「シロアムの園」を始めた時です。

キリスト教の概念に「召命(しょうめい)」という言葉があります。これは、神様が人間を作られた時、それぞれに目的があって、特性や環境を与えてくださっているという前提です。なので、自分の人生の目的を果たす場所へは、神様が呼んでくれると考えます。

私が最終的に障がい児と共に生きている理由も、一言で表すと、神様に呼ばれたから。それまで何年もの間、仕事自体は楽しんでいたものの「これだ」という確信がない状態でした。「やりたいこと」をやっている感覚もなく、本当に苦しい時期で。そのような中で、障がいがある子どもたちと出会ったことで、焦点がはっきりし、やるべきことがはっきりと見えたのです。苦しかった期間も、今のこの環境に呼ばれるために必要な時間だったのだと思っています。

このように「シロアムの園」立ち上げには、「これは神様から私に与えられたことだ」という強い想いにも似た確信がありました。なので決断自体は大きかったですが、迷いも不安もありませんでした。

当時お世話になっていた教会の牧師が、「『何をやろうか』と考えていると、答えが見つからないこともあるが『誰と生きるか』が決まると、何をやるべきなのかが見えるようになる」と、おっしゃっていて。まさにその通りで、障がいがある子どもたちが「一緒に生きよう」と呼んでくれていると感じた時、彼らが必要とすることや彼らの想いに寄り添うことが、私の仕事になりました。

ー最終的にケニアを拠点にした理由は?‎
公文:住みやすかったからという理由もあると思います。また、JICA職員としてケニアで働いていた時は、保健医療関係の開発職として、研究職の方々をサポートする仕事でした。直接現場に出るわけではなかったので、ケニアの実情をもっと知って、深く関わりたいという気持ちがどんどん強くなっていって。

その後、ケニアでは国際NGOと日本のNGOの仕事もしました。その間、やりたいこと、現地で求められていること、やれることのバランスの中で葛藤しており、先が見えませんでした。

そこで2010年に原点に戻るために臨床に戻ることに。その際に出会った障がいのある子どもたちに一目惚れしたんです。

「自分がここにいる意義」に対する回答が障がい児とその家族のための施設「シロアムの園」の立ち上げでした。

ー辿り着いたのが、障がい児と家族のための施設だったのはなぜでしょうか?
公文:それまで海外でたくさんの「困難の中にある人たち」と出会ってきました。その中でも、障がい児の問題の大きさは計り知れません。また、それまでに対峙した問題とは全く異なり、障がい児が抱える問題を解決するために動いている人、注目している人が非常に少ない状況でした。。当時、エイズは国際社会からの注目度が高く、その対応を巡り国同士が競合しているほど。一方、障がい児支援は注目もされていないし競合もなく、国際社会の中で「忘れられている」と言っても過言ではありませんでした。

私が一目惚れした子どもたちの笑顔が持続可能になるような、そして、それをみんなが望むような社会を創りたいと思ったのです。

最終的なゴールを合わせるマネジメントを意識

ー「シロアムの園」立ち上げの際、どのような困難がありましたか?
公文:私の中でごく自然な流れで決断したこともあり、当時はあまり気負ってはいなくて。なので立ち上げ自体は特段大変ではありませんでした。それよりも続けることの方がもっと大変だと思っています。

ー続けていく上での困難とは、どのようなものでしょうか? ‎
公文:文化や言語の違いなどの問題もありますが、やはりスタッフの生活と子どもたちの生活を抱えている責任ですね。ただ、立ち上げ時と違い、一緒に考え共に歩んでくれる仲間がいることは大きな財産ですね。

ースタッフのマネジメントで大切にしていることは?
公文:「同じ方向に向かっているか」という点です。バッググラウンドや状況もスキルも異なるメンバーですが、「最終的に何を見たいのか」という部分は、同じ想いでいれていると感じます。

私は勢いで突っ走るタイプなのですが、違うタイプのスタッフがいるからこそ日々助けられています。それぞれの違った特性を大切にしながら、同じゴールを見つめるようにしています。 ‎

ただ、ケニアは貧しい国ということもあって、お金を起点として働いている方も多いです。シロアムの園ではスタッフにそこまでのお金を提供できているわけではないので、お金以外の部分でどう目線を合わせて共に歩んでいくのかは、常に考えていますね。スタッフとはミーティングを密にして、目指すゴールを伝えるようにしています。

ー日々の活動でやりがいを感じるのはどのような時ですか? ‎
公文:子どもたちの笑顔を見られることです。障がい児が変わることに期待するわけではなく、出会えていること自体にすごく喜びを感じています。もちろん変化することへの喜びもいっぱいありますが、そのままのその子のその時の笑顔に会えること自体が喜びです。

ーー

★後編では、公文さんのように自分らしいキャリアを歩むためのアドバイスをお聞きしました。



(取材:尾崎真佐子/執筆:菱山恵巳子)

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