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マイキャリアストーリー

『経験し、自信をつけることが道を開く』
FPTジャパンホールディングス・専務執行役員 グェン・ホアン・リンさん【前編】

誰しも迷うキャリアの決断。管理職として活躍する女性はいつ何に悩み、どう決断してきたのか。キャリアの分岐点と決断できた理由を語っていただきます。

今回は、FPTジャパンホールディングス株式会社 専務執行役員 兼 最高レベニュー責任者のグェン・ホアン・リンさんにお話を伺いました。

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グェン・ホアン・リンさん

FPTジャパンホールディングス株式会社
専務執行役員 兼 最高レベニュー責任者

30歳で子会社の社長、33歳でCROに

グェン・ホアン・リンさんは2013年、25歳の時にFPTジャパンホールディングス(以下、FPTジャパン)に入社。約1年間、秘書室に所属した後、2014年から営業部でのキャリアをスタートさせます。
「営業に移って2年後の2016年には、5人のメンバーがいる営業チームのリーダーに。2018年には、20人規模の営業本部長に就任しました。前年の2017年には、FPTジャパンの子会社、FPTテクノジャパン株式会社の代表取締役社長にも就任。同時にFPTジャパンの副社長にも就任しました。そして2021年7月からは、FPTジャパンの専務執行役員兼最高レベニュー責任者(CRO)にも就任しています。

FPTグループ全体の社員の平均年齢は28歳。日本拠点のFPTジャパングループで3800人の社員を抱え、こちらの平均年齢は33歳です。
最近、中途入社の方も増えてきて平均年齢が30歳を超えましたが、それでも全体的にとても若い会社なので、30代前半で社長や副社長になることは、そこまで珍しいことではありません。お客様から『若いですね』と驚かれることもありますが、『FPTの中では、もう若くない方ですよ』と冗談っぽく返しています(笑)」
次々と役職を任されるリンさん。仕事内容を伺うと、まるで複数人の仕事を1人でこなしているようでした。
「私の1つ目の仕事は、売り上げや利益の管理をすること。CROなので、売上を最大化することが最も重要な役割です。2つ目は営業組織全体の管理。今、営業部には120人のメンバーがいて、13チームに分かれています。全体を見ながら営業部をさらに強化していくための採用戦略を練ったり、若手の育成をしたり。最終面接時には基本的に同席しますね。

3つ目は、15人ほどの営業チームのリーダー。メンバーの半分が日本人で、全13チームの中で最も日本人が多いチームです。中途入社で40〜50代が中心で、彼らの困りごとに対してアドバイスやサポートをしたり、彼らがやりがいを持って働き続けられるようマネジメントもしています。

4つ目の仕事は、お客様への営業活動。特にお客様が大企業の場合は、営業担当者に同行してアプローチします。私が一番好きな仕事ですね。社内にこもってガバナンスだけしているのは、好きではないんです。FPTジャパンのために、多くのお客様と関係性を築いていくことが、何よりも楽しい。その関係性は決して仕事上で終わるものではなく、私自身にとっても大きな財産になりますから」

「来日」と「渡米」 ― 2つのターニングポイント

FPTジャパンに入社するまでのことを伺うと、それまでの苦労とともに人生のターニングポイントについても教えてくれました。
「私は高校時代までベトナムで過ごしましたが、父からの『勉強するなら海外に行ってはどうか?』という一言で、卒業後に日本の大学で学ぶことを決意しました。それで2006年に来日したのですが、当時は、本当に軽い気持ちで決めてしまったこともあり、日本語も挨拶くらいしか分からないレベルで……。大学に入る前に一年間、日本語学校に通うことにしました。

日本語学校に通いながらアルバイトも探さなければなりませんでしたが、それで先輩から教わったのが“タウンワーク”。『これを読んで電話すればいいんだよ』と言われたんです。

ところが、漢字が全く分からない。それでも、数カ月間、辞書を引きながら読んでいくうちに、ようやく内容が分かるようになって、それが結構面白かったんです。調べるのも面白かったですし、毎回そこに載っているお店に電話するのも楽しかったです。

友人は、電話すると緊張して言葉が出ないと言っていましたが、私は緊張よりも、『日本人と直接話せる絶好のチャンスだ』という気持ちの方が上回っていました。最初は何を言っているのか全然分かりませんでしたが、10回、20回と電話するうちに段々と相手の話している内容が分かってきました。それが面白かったんですね。

そうやって少しずつ日本語を学びながら、日本の大学でも学び、今年で来日18年目。高校時代に父からかけられた言葉がきっかけでに軽い気持ちで来日することになりましたが、今となっては正しい決断だったと思います。その意味で、日本に来たことが、私の人生における1つ目のターニングポイントでしたね」
もう1つのターニングポイントは、日本の大学を卒業後に渡米したことだそう。
「大学卒業後、日本に留まり続けるべきか迷った時期がありました。ずっと日本にいると、飽きてしまうのではないかという思いがあったんです。そんな時、父から『若いうちにやりたいことがあるなら、どんどんやってください』と言われ、渡米を決意しました。そこから2年間、日本を離れてサンフランシスコに行ったことも、今振り返ると、とても良い経験でしたね。

一番印象に残っているのは、ベトナムとも日本とも違う“アメリカ文化”です。みんなオープンマインドなスタイルで接してくれたので、友達がたくさんできました。また、良い経験になると思い、レストランでアルバイトもしました。

アメリカにはチップ文化がありますよね。接客が良かったようで、チップを結構もらえたんです。そのおかげで、ニューヨークやワシントンDC、ラスベガスなどを旅行できました。それ以上にアルバイトのおかげで、親から生活費を一切もらわずにアメリカで生活できたことが、私としてはとても誇らしかったですね」

練習して経験すれば、自信を持って挑戦できる

積極的に何でもやってみる姿勢のリンさん。この積極性はどのように身につけたのでしょうか?
「今振り返ると、来日してから日本語をたくさん練習し、たくさん話す経験をしたことで、自信がついてきたのかもしれません。もちろん最初は、『根拠のない自信を持とう』と心がけていた部分もあったと思います。でも、意識的に自信を持つことで、大勢の人の前でのスピーチなど、多くの人が緊張するような場面でも、あまり緊張はしませんでした。

話す日本語はたくさん間違えましたし、間違えている自覚もありました。でも、そこで恥ずかしいとは思わない。自信を持つ。そうやって繰り返し練習し、経験を積んできたことで“本物の自信”となり、何でもやってみようと思えるようになっていったのだと思います。

今は、ベトナム人の若い営業メンバー向けのトレーニングも担当していて、何度か『どうやって自信を持つか』というテーマを設定しました。その時に伝えたのは、日本語が間違っていないか、正しくない表現を使っていないか、といった正確性は気にしないこと。それよりも常に動き続ける、話そうとし続けること。そちらに意識を向けて練習と経験を重ねれば、緊張や怖さはなくなり、進んで何でもやってみようと行動できるようになると伝えています」

「後編記事」に続きます





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写真:MIKAGE
取材・執筆:北森 悦

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