住吉美紀さん「やりたい仕事を叶えるためには、積極的に口に出すこと」
フリーアナウンサーとしてテレビやラジオで活躍されている住吉美紀さん。著書『50歳の棚卸し』(講談社)では、ご自身のキャリアからプライベートまで赤裸々に綴られています。37歳でのNHKからの独立、42歳での結婚、不妊治療とその終止符。住吉さんはどう決断し、葛藤を乗り越えてきたのか。前編では、NHK時代に働く上で意識していたことから独立後までを伺います。
住吉美紀さん
フリーアナウンサー/文筆家
1973年生まれ。小学校時代はアメリカ・シアトルで、高校時代はカナダ・バ ンクーバーで、英語と日本語、両文化の中で育つ。国際基督教大学(ICU)卒業後、1996 年にアナウンサーとして NHK 入局。『プロフェッショナル 仕事の流儀』『第 58 回 NHK 紅白歌合戦』総合司会などを担当。2011 年よりフリーに。2012 年より朝の生放送ラジオ、TOKYO FM『Blue Ocean』パーソナリティ。夫と3 匹のネコと暮らす。
著書『50歳の棚卸し』(講談社)
「やりたいこと」は積極的に口に出す。誰かの記憶に残っていることが大切
- ー現在、フリーアナウンサー、文筆家としてご活躍ですが、NHKという組織にいた時、ご自身のキャリアを築くためにやっていたことはありましたか?
- 住吉:自分がやりたいことを積極的に声に出すよう意識していました。大きな組織だったので、自分から言わないと汲み取ってもらえない環境でしたから。上司との面談ではもちろん、飲み会や打ち上げ、何かの会話のついでなど、チャンスがあればいつでも「こういう仕事がしたい」「こういう仕事が自分に合っている」ということを口にしていましたね。
- ー住吉さんがやりたいことは、どのようなことだったのでしょうか?
- 住吉:海外と日本を行き来しながら、異文化の架け橋になることです。海外の多種多様な価値観や考え方、素敵な暮らし方などを日本の視聴者に届けたい。また、言葉が違っていても心で繋がれる、ということを伝えたいと思っていました。
- ーやりたいことは、自然と見つかったのでしょうか?
- 住吉:就職活動の時にじっくり考えていたので、新卒入社した時にはすでにある程度固まっていました。そもそも将来やりたいことを探そうと決めて大学に入学したので、自分の将来像は意識的に考えていました。学生時代にアルバイトやボランティア活動をする時も「これは自分に合っているかどうか」「これはやりがいを感じるかどうか」ということを考えていて。
その中で、アナウンサーという道が見えたのはたまたまだったんです。大学内での報告会の司会を引き受けたところ、教授から「本物のアナウンサーみたいだった」と褒めてもらったことがすごく嬉しくて。それまでアナウンサーを希望していなかったけど、ちょっと受けてみようかなと思い、マスコミセミナーに通い、そのままの流れで就職活動に挑みました。就職活動中も自己分析を続け「自分って何がやりたいんだろう」「どういうことだと頑張れるんだろう」「自分の強みとか特徴って何なんだろう」ということを考えた上で、NHKに入局しました。
- ー入局後もそれは変わらなかったのでしょうか?
- 住吉:すごく考えて行き着いたことなので、その点はブレなかったですね。ただ、働きながらも「どんな仕事が自分にとって面白いのだろう」ということは常に考えていました。私の場合、「これはストレスがかかるし、苦手」という仕事と、逆に「これは難しいけど面白い!」という仕事がはっきりと分かれていたんです。
NHKのアナウンサーには、幅広い仕事があります。ラジオもテレビもあるし、自分で取材先を探してロケをすることや、自分で原稿を書いてナレーションを読むこともあります。様々な体験をする中で、すごく面白いと思った仕事は、スタジオの外からの生中継でした。
自分が見つけた面白い話や美しい景色をどう届けるかを工夫することも楽しかったですし、緊張感の中で様々な職種の方が同時に動いて、一斉に気持ち良く仕事が終わる感覚も、とても性に合っていました。だから、私の2つの趣向性を合わせて「海外に行って生中継を担当したい」と、言葉にしていました。
でも当時はそういった番組がない時代。周りの先輩からも「それは多分叶わないよ」とも言われていました。
そんな中、ハイビジョン放送の普及のため、海外からの大型生中継企画が少しずつ始まったんです。それまで自分がやりたいことを言い続けていたから、誰かが「住吉がやりたいって言っていた」と思い出してくれて、その希望が叶ったと思うんです。誰かの記憶に残ることって結構重要なんですよね。
結果的に2003年から4年間ほど毎年、大型の海外生中継番組を任せてもらえるようになりました。これは本当に天職を見つけたと感じる仕事でした。
どんなに大きな組織でも、結局は人の集まりです。だから声をあげるって大事なこと。プロジェクトが発足した時に「あの子、ああいうのに興味あるって言ってたよ」と、誰かが覚えていてくれたら「じゃあ声をかけてみるか」となるかもしれません。
- ーちなみに、これは自分に向いていないなと感じた仕事は?
- 住吉:ニュース原稿を正確にたくさん読む、というのは周りの方に比べて、そこまで長けていないなと感じていました。
新人の頃は、上手になりたいと思っていたので、地道に努力をしていました。ラジオやテレビでニュース原稿を読むというのはアナウンサーの基本の仕事としてかなりの頻度で担当します。全て録音を聞き直したり、録画を見直したりして、自己訓練をしていました。
ただ、少しずつキャリアを積む中で、他の方に比べて明らかにそこは自分に足りていないということも見えてきて。不得意だと感じる分野は、「視聴者に届ける上で最低限頑張ろう」という気持ちで取り組んでいました。
だから社内での面談の際にも「歪さがある人材で申し訳ないですが、自分が得意とする分野ではとにかく組織のために頑張るので、ぜひそれを配慮して配置いただきたい」ということもハッキリと言葉にしていました。
独立後は、新人に戻った感覚で仕事を見直し。失敗を通じて自分の向き不向きを自覚
- ー37歳でNHKを離れ、フリーに転身された決断について。いわゆる「安定」を捨てる不安はありましたか?
- 住吉:離れる時には、意外にも不安はなかった気がします。元々、フリーアナウンサーになろうとも思っていなかったんです。もしNHKを離れるなら、例えばヨガインストラクターとか、アナウンサーとは別の道に進む時かなと思っていたくらいです。
でも人って、年齢を重ねる中で自分でも思わぬ方向に考え方が変わることがあるんですよね。例えば少し前に退職した先輩がどういう風に働いているかが耳に入ってきて、視野が広くなるとか。あとは本当にタイミングですよね。当時、私が立ち上げから深く関わり我が子のように可愛がっていた『プロフェッショナル 仕事の流儀』『アートエンターテインメント 迷宮美術館』などの番組からたまたま離れることになったり、番組が終了したりして。「今ならチームに迷惑をかけずに離れられるかもしれない」と思い、パッと行動に移したんです。「なんとかなるか!」という気持ちで決断しました。むしろ退職してからの方が大変でしたね。
- ー退職後に感じた大変さとは?
- 住吉:私はNHKで担当した番組が全部大好きで、すごく誇りを持って仕事をしていましたし、自分の生活のほとんどを仕事にかけて37歳まで生きていました。なので自分なりに仕事の美学もあって。「プロとしてこうあるべき」という思いがあったのですが、それがフリーランスだと全く通用しなくて。どうしたら良いのか、しんどい時期がありました。
例えば、NHK時代に教わった美学の一つとして、アナウンサーとは必要最低限の言葉数で簡潔にわかりやすく話をするべき、というものがあります。私もそういった姿を目指しながら仕事をしていたので、無駄のない簡潔な言葉で、職人のように、必要以上に個が立ちすぎないようにしていました。でもその姿が、場合によっては「真面目すぎてつまらない」とも捉えられてしまったんです。
自分が理想とする「プロとしての姿」と、フリーアナウンサーとして求められることのギャップに苦しみました。今でも担当しているラジオ番組『Blue Ocean』(TOKYO FM)でも、一人で進行して、メールを読んで、曲を紹介してという中で、私が必要最低限の言葉数だと、生放送の時間が埋まらないんですよ。聞いている方もつまらないわけで。
でも、最初の頃はどうしたらいいかわからなくて。「もう少し住吉さんの感想を喋ってみてよ」「フリートークをどうぞ」と言われても、上手くできなくて。「電波に載せて良いフリートークって何!?」「私のプライベートの話なんて誰も興味ないだろうし…」と色々なことを考えすぎちゃって正解がわからず、1〜2年くらいは不安の中にいました。
仕事に葛藤はつきものですよね。これまで辛い時期もたくさんありましたし、今スッキリしているかといったら、いまだに苦手だなあと思うことも多いです。
- ーフリーランスだからこその大変さもあったのでしょうか?
- 住吉:そうですね。相談できる相手がいないことは大変でした。組織に所属していれば、周りに先輩も後輩も同僚もいて、他の職種の方とも一緒にチームで働けるので、何か気になったことは適切な立場の人に相談できるんですよね。
でもフリーランスになると、基本的には1人でそこを乗り越えなければならない。外部の者として現場に呼ばれて、そこでプロの仕事をして帰る。「これ、どうやったらいいですかね?」と気軽に言える関係性の方がいなかったり、適切に相談に乗ってくれる相手も見つからなかったりしました。
特に、自分の得意不得意って、自分よりも周りの方からの方が見えたりするもの。でもフリーランスは自己評価して、決断して進んでいかなければなりません。
もう一回新人になって自分の仕事のやり方を再構築する感覚で、失敗も経験しながら自分の向き不向きを自覚できるようになりました。
- ー挫折を感じることはありましたか?
- 住吉:担当していた番組が立て続けに終了した時は、挫折感がありました。そういう挫折は時間が解決してくれることもありますし、成功体験を積み重ねることで乗り越えられることもあります。
自分がやりがいを持って取り組んだ結果、仕事相手の方々も喜んでくれたという実績を一つひとつ地道に積み重ねていくことで、徐々に自信がついてくるのだと思います。
★後編では、不妊治療の経験や、30代・40代の女性が働く上で大切なことを伺いました。
(取材・執筆/菱山恵巳子)





