「挑戦を恐れず、一歩踏み出す勇気を」澤穂希が語る、女性のキャリアの歩み方
2011年FIFA女子W杯ドイツ大会で、日本チーム「なでしこジャパン」を史上初の優勝に導いたキャプテンの澤穂希さん。現在は一児の母として仕事と子育てを両立されています。後編では、澤さん自身のキャリアの決断と、女性が自分らしくキャリアを歩む方法について伺いました。
澤 穂希さん
1978年生まれ、東京都出身。15歳で女子サッカー日本代表入り。2011年FIFA女子W杯ドイツ大会では、キャプテンとしてなでしこジャパンの優勝に貢献し、大会MVPと得点王に輝く。同年「FIFA女子年間最優秀選手賞」を受賞。2012年ロンドン・オリンピックでは、銀メダルを獲得。2014年アジアサッカー連盟殿堂入り。2015年FIFA女子W杯カナダ大会では、チームの準優勝に貢献。2015年8月に結婚し、同年12月に現役引退。日本女子代表史上、出場数・ゴール数歴代1位を獲得。W杯6大会連続出場は世界記録。現在は一児の母として子育てをしながら、スポーツ普及のため幅広く活動。
「もうサッカーをやりたいと思わない」ほどやりきって現役を引退
- ー2015年に現役引退されましたが、決断のきっかけは?
- 澤:心と身体が一致してプレーできなくなってきたと自覚したことです。翌年がオリンピックの年でしたが、もうトップレベルでのプレーはできないなと、引退を決意しました。自分の中では、サッカーをやりきったので悔いはありませんでした。引退して10年経っていますが、今もサッカーを別にやりたいと思わないくらい。それくらい自分のサッカー人生に納得をしていたのだと思います。
女性は、結婚や出産などキャリアの決断に向き合うことも多いと思います。時間がある時に次のキャリアを考えておくのは良いと思いますよ。何事も辞めてからの人生の方が長いので。
- ー引退の約4ヶ月前に結婚もされています。そういったライフイベントもキャリアの決断に影響したのでしょうか?
- 澤:私の場合、そこはあまり関係なかったですね。夫も「サッカーをやりたければ続けて良いよ」と言っていましたし。でも年齢も上がってきて身体の状態も変わってきて、トップレベルで走り続けられないなと。回復力が落ちた、肝心な時にあと一歩が出ない、運動量が下がった…そういった身体のことは自分が一番気が付くものです。おそらく結婚していなくてもあのタイミングで引退したと思います。
家族はチーム。仕事と育児の両立は、人に頼る勇気も大切。
- ー現在の仕事について。仕事と育児をどのように両立されていますか?
- 澤:今は子育てを優先しています。子どもの学校行事などにも絶対出るようにしています。ただ、やりたいと感じた仕事は積極的にチャレンジしたいと思っているので、時には泊まりでの仕事が入ることもあります。そういう時は夫はもちろん母親、キッズシッターさんなど、たくさんの方々に協力いただいています。
自分ができる量の仕事をして、家のこともする。子どもと向き合う時間を作り、夫婦で向き合う時間もつくる。それらをうまくバランスを取りながら働いています。
もちろん子どもがもっと幼い頃は自分のやりたい仕事があっても諦める時もありました。でも子育ては一人で行うことではありません。まだまだ母親に育児の負担がかかる世の中ではあるので「自分が全てやらなくちゃ」と思っている方もいるかもしれませんが、人に頼る勇気も大事です。
- ー澤さんがなでしこジャパンのキャプテンをされていた頃、チームはどのような雰囲気だったのでしょうか?
- 澤:チーム内ではとにかくコミュニケーションを一番大切にしていました。普段の練習後には毎回メンバー全員でのミーティングがありましたし、試合後も同様。失点した原因や、次回への改善点を話し合っていました。そういう積み重ねでチームの意識統一ができていたのだと思います。
誰かが困っていれば、みんなで一緒に解決する。一人のためにみんなが、みんなのために一人がという関係性でしたね。それこそ家族よりも長く、濃密な時間を共に過ごしていたので、何でも言い合える素敵な仲間でした。
- ー子育てもチームプレーなんですね。
- 澤:まさに家族はチームです。足りないことをお互いフォローする、上手に頼り助け合っていくというのは、サッカーで得たコミュニケーションと同じですね。
失敗ではなく挑戦。人生のアップダウンはどちらも経験するべき。
- ー女性リーダーや、これからリーダーを目指していく女性にエールをお願いします。
- 澤:迷っている時は一歩踏みだす時だと思って、勇気を出してください。迷っているということは、やりたいということ。まずやってみて、自分が望む結果にならなかったとしても、それは失敗ではなく経験です。たくさんの経験を積みながら、自分の仕事に誇りを持って楽しんで働いてもらいたいなと思っています。
- ー澤さんもいわゆる「望む結果にならなかった」経験もしてきたのでしょうか?
- 澤:もちろんです!そもそもW杯で優勝するまでは、日本の女子サッカーは注目もされず、誰が選手かも知られていない状態でした。プロチームに残りたければ並行してアルバイトをしてお金を稼がなければならなかったですし、日本の女子サッカーリーグ所属企業が、次々に女子サッカー部を廃部にする時代もありました。ちょうど20歳の頃です。「このままじゃサッカーができなくなる」と思い、大学を中退し渡米。当時はお金もほとんどなく、インターネット環境もほとんどありません。辞書を片手に自分のことは全て自分でしなければならない状況。そういった辛い経験のおかげで精神的にも肉体的にも強くなれたのだと思います。
人生、アップダウンがあることが当たり前。良いことばかりでも悪いことばかりでもありません。どちらもバランスよく経験して、悪いことは失敗ではなく挑戦だと捉えることが大切なのではないでしょうか。
- ーでは、澤さんにとって最初の挑戦は何だったのでしょうか?
- 澤:こどもの頃にサッカーを始めたことですかね。当時はチームの中に女の子は私一人。最初は「女の子は入れません」と断られましたし、「女の子がサッカーなんて…」と言われたりもした時代でした。それが一番最初にぶつかった壁でしたね。
小学校高学年になっても「女の子だから」とうまくいかないことはありました。例えば2人1組でのストレッチでも「女と手繋ぎたくない」「俺は嫌だからお前がやれよ」とチーム内で私の押し付けが始まって。孤独を感じることもありました。それでも私はサッカーが好きで、上手くなりたかったんですよね。
でも、ああいう経験こそが自分を強くしてくれたのだと思います。子育てでも「可愛い子には旅をさせよ」と言いますが、生きる上では経験こそが自分を形作るのだと思っています。
- ー一歩踏み出す勇気が出ない人にアドバイスをお願いします。
- 澤:何事もやってみないとわからないですよね。今は心配の方が大きくても、一歩踏み出してみたら意外と誰かが協力してくれることもあります。「子どもがいて挑戦ができない」という方だって、時間が経てば子どもは成長するものです。やってみてどうなるかなんて、いくら考えてもわからないので、とにかく一歩踏み出すことをおすすめします。
- ー最後に、澤さんがこれから挑戦したいことを教えてください。
- 澤:一生学び続けることが人生だと思っているので、色々な勉強をしたいです。例えば今はファイナンシャルの勉強をしています。お金のことは学校では教えてくれません。不動産や相続、年金や保険など、お金は自分にとっても関係しています。勉強してみると知っておいた方がいい情報がたくさんあるんです。この先資格を取得するのか学校で学ぶのかなどはまだ未定ですが、まずは興味をもったことを学び続ける。それが今後のチャレンジかもしれません。
挑戦には不安はつきもの。でも迷っているということは、心が動いているということ。澤さんの言葉は、立場や年齢に関わらず、自分の人生に責任を持って歩む全ての女性へのエールです。次の一歩を踏み出す勇気をぜひ持ってみてくださいね。
(取材・執筆/菱山恵巳子)





