『組織の外側から自分の価値を意識できる人が伸びていく』<br>フランスベッド株式会社 インテリア事業本部 インテリア商品企画部 副部長 石川南都子さん【前編】のイメージ画像

マイキャリアストーリー

『組織の外側から自分の価値を意識できる人が伸びていく』
フランスベッド株式会社 インテリア事業本部 インテリア商品企画部 副部長 石川南都子さん【前編】

誰しも迷うキャリアの決断。管理職として活躍する女性はいつ、何に悩み、どう決断してきたのか。キャリアの分岐点と、決断できた理由を語っていただきます。

今回は、フランスベッド株式会社でインテリア商品企画部副部長を務める石川南都子さんにお話を伺いました。

石川 南都子(いしかわ なつこ)さんのイメージ画像

石川 南都子(いしかわ なつこ)さん

フランスベッド株式会社 インテリア事業本部 インテリア商品企画部 副部長
1991年に新卒でデザイン開発職として入社。ベッドフレームのデザイン開発を手掛け、数々のグッドデザイン賞を受賞。現在はプロモーション課を担当し商品の認知向上に向けカタログやPOP、動画、売り場提案などの販促物制作、商品の企画立案などに従事しながら会社のブランディングプロジェクトに参画。プライベートでは2児の母。

どう自立して生きていけるかと考え、デザインの道を選んだ

日本人の体型に合ったベッドやマットレス開発を手掛け、日本に“ベッドのある暮らし”を提案してきたフランスベッド株式会社。今では当たり前になった福祉用具のレンタルを日本で初めてスタートさせるなど、市場がなかった領域でも、新たな挑戦を続けてきました。
2024年に創業75周年を迎え、ベッド製造・卸売りを手掛けるインテリア事業と、福祉用具のレンタルを主にしたメディカル事業の2軸で事業を展開しています。
インテリア商品企画部の副部長を務める石川南都子さんは、商品の認知向上に向けた販促物の企画制作や、会社のブランディングプロジェクトを進めています。
学生時代は美大でプロダクトデザインを専攻していたという石川さん。なぜ、フランスベッドに入社しようと考えたのでしょうか?
「もともと、絵を描くよりも立体物を作っているときのほうが夢中になれて、得意だなと感じていました。中でも家具は、アート作品とは違い毎日の生活の中で人に寄り添い実際に活用される立体物。私たちの暮らしに密接に関わり人間工学と切り離せないところにも魅力を感じていました。そんな中、フランスベッドは自社工場とデザイン開発の専門部署を持ち、設計から生産まですべて内製していることを知り、『ここなら、デザインに注力した商品化ができそうだ』と思い、新卒で入社を決めました」
自分の好きなこと・得意なことを大学で学び、それを活かせる職業についた石川さん。美大に進学を決めた時点で、先々をスマートに見通していたように映ります。ただ実際は、「自分が自立して生きていくためにはどの道に行くか」を必死に考えた末の意思決定だったといいます。
「5人兄妹の大家族で育ち、両親からは『就職したら全員家から出て自立すること』と言われて育ちました。性別に関係なく、全員を大学へ通わせてくれ、何か社会での役割を見つけるようにと背中を押してくれました。そこには母の思いもあったのではないかと子どもながらに思っていました。
母はかつて大学で遺伝子を研究していた、当時では珍しい“理系分野の女性研究者”でした。でも、結婚や出産、夫の海外転勤への帯同などもあり、研究職として働く道を、どこかのタイミングで諦めざるを得なかったのではないかと思うのです。そういう時代でもありました。」
子どもの頃、メイク道具で遊ぼうと化粧台の引き出しを開けたら、解剖用のメスが出てきたそう。袋に入れられ大事に仕舞ってあったメスを見て、“研究者だったかもしれない母”に想いを馳せたと振り返ります。
「私の勝手な想像かもしれませんが、子どもたちに『それぞれ自分の選んだ道を行きなさい』と語っていた理由の一端に触れた気がしました」

“好きなものづくり”から“仕事としてのデザイン”へ。責任の重さを実感した

入社後は、ベッドフレームのデザインを手掛ける研究開発部へ。“生活に欠かせない家具のデザインを手掛ける”という、まさに自身がやりたかった仕事に就いた石川さんでしたが、「最初に先輩からベッドの開発説明を受けたときの衝撃は忘れられない」と話します。
「それまでの大学での作品づくりは、自分の中からイメージするものを作るという視点が中心でした。先輩が、『このベッドはこんなターゲットに向けてこんな行動を想定してデザインした』と自ら手掛けたベッドフレームについて教えてくれたときに、自分がアウトプットしたものが市場に出て、お客様の視点で選ばれなければならないのだと、改めて実感しました」
当時のフランスベッドは、デザイナーがマーケット調査からペルソナの設定まで手掛け、商品開発全体のディレクターのような存在でした。先輩から説明を受けた日の夜は、「自分が出したデザインが世の中に受け入れられなかったらどうしよう」と一睡もできなかったといいます。
「私のデザインをカタチにするべく、商品を設計し製造し、値付けをして販売してと…、たくさんの人が関わります。『そこまでしてもらって商品が売れなかったらどうしよう』という重責と向き合う日々でした。
入社後に、私が手掛けたベッドフレームが幸いにもグッドデザイン賞を受賞する機会も得られましたが、良いデザインと売れるデザインは似て非なるものです。励みにはなりましたが、デザイナーとして自信を持って商品を市場に送り出せる日はありませんでした」
その後、27歳で第一子を出産し、1年弱の産休育休を取得。ターニングポイントは、2人目の子どもを産んだあとに訪れました。
→「後編記事」につづきます。





~あわせて読みたい記事~
◇任されていると思うから、人は自ら動いていく(資生堂インタラクティブビューティー株式会社 企画管理部 野田裕子さんのインタビュー)
◇“サポートがあってこその両立” 周りを頼ることで仕事も自分もラクになれた(トヨタ自動車株式会社 UI商品開発部 志土地さんのインタビュー)





写真:MIKAGE
取材・執筆:田中 瑠子

  • line
  • リンクトイン

RANKINGランキング

  • 週間
  • 月間