『自分を小さく見積もらず、自分の可能性を信じていってほしい』
豊田合成株式会社 2030事業計画推進室長 関戸優子さん【前編】
誰しも迷うキャリアの決断。管理職として活躍する女性はいつ、何に悩み、どう決断してきたのか。キャリアの分岐点と、決断できた理由を語っていただきます。
今回は、豊田合成株式会社の2030事業計画推進室で室長を務める関戸優子さんにお話を伺いました。
関戸 優子(せきど ゆうこ)さん
経営企画部 2030事業計画推進室 室長
派遣社員を経て2007年に豊田合成に正社員入社。人事部で人事管理制度改定などを担当ののち、管理職に昇格。豊田合成九州に出向し立ち上げを担当。2022年に豊田合成に戻り経営企画部戦略企画室に異動。2026年1月より現職
目次
就職氷河期の中、派遣社員というキャリアのスタートを選択
- ゴム・樹脂の高分子技術を用いた自動車部品を製造・販売する豊田合成株式会社。関戸優子さんは、人事領域で約15年の経験を経て、2026年1月から2030事業計画推進室にて室長を務めています。
2030年に向けた年度方針や重点施策を検討する「2030事業計画推進室」。自動車部品のグローバルサプライヤーとして、中長期の事業成長をどう進めていくか、地政学リスクを鑑みたシナリオプランニングを考えるほか、事業・機能戦略を推進する各部門との仕組みづくりも手がけています。社長や役員など経営陣のサポートとして、トップメッセージの社内外への発信も担うなど、関戸さんの役割は多岐にわたります。
- 「自分が経営戦略立案に携わるようになるとは思っていなかった」と話す関戸さん。長く人事領域に携わってきましたが、「就いた先が偶然にも、人事の仕事だった」ところからキャリアがスタートします。
関戸さんの学生時代は、いわゆる“就職氷河期”という時代背景があり、働き方として“派遣社員”を選んだことが、豊田合成に入るきっかけになりました。 - 「ちょうど派遣制度が広がり始めたタイミングで、様々な業界、職種を経験しながら自分に合う仕事を探していける働き方があるのだと知り、“まずは挑戦”という思いで派遣登録しました。大学や大手半導体メーカーでの派遣経験を経て辿りついたのが、豊田合成の人事部でした」
自分のアウトプットに厳しく向き合う。派遣社員としての立場が、仕事観の土台を作った
- 働き始めてすぐに、性別や年齢、経歴にとらわれず、フラットに人を見る豊田合成の社風に魅力を感じたという関戸さん。役員との距離が近く、職位に関わらず「あなたはどう思う?」とフラットに意見を聞き、すぐに取り入れていく柔軟性にも、働きやすさを感じたといいます。
人事部内の企画業務担当として、社内の派遣社員の人事管理制度づくりを任される中で、「正社員にならないか」と声をかけてくれたのが、当時の上司であり、今の取締役社長・CEOの齋藤克巳さんでした。 - 「派遣社員も新たな人事管理の仕組みづくりが担えるとは、型破りな会社だと思いました。ポジションではなく、自分を信頼して任せてくれることがうれしくて。だからこそ、期待に応えようとモチベーション高く仕事に取り組むことができました。それもあって、豊田合成で働くことで、自分自身が成長していく実感がありました」
- 当時は世間的に、派遣社員のワークスタイルや雇用ルールの周知が十分に進んでいないと言われていた時代。「成果を出せなければ契約が継続されないのでは」という危機感が関戸さんの中で強くあったといいます。
- 「自分のアウトプットに対して、『このクオリティで、また仕事をお願いしたいと思ってもらえるだろうか』といつも内省し自分と向き合っていました。危機感と責任感を持って仕事に向き合う姿勢を身に付けられたのは、派遣社員だったことが大きいかもしれません。それは今につながる、働き方の土台になっていますね」
- 正社員になってからの大きな変化は、「組織を意識して仕事をするようになったこと」と語る関戸さん。組織貢献を大事にする上司に出会ったことも、仕事観に大きな影響を受けました。
- 「上司はトヨタ自動車から赴任された役員で、“会社と組織の未来にとって何が最善か”という視点がブレない人でした。前例や既定路線に流されずに、会社のためにより良い意見やアイデアであれば、誰が言ったかに関係なく取り入れていくような懐の広さと芯の強さをお持ちでした。
当時の私は正社員になったことで、業務範囲を広げ、視座を高めていかなければならいという思いが強くなり、
焦りを感じていた時期でした。でも、上司の一貫した“未来を見据えた発言”に触れる中で、立場がどう変わろうとより良い組織づくりのために動いていけば良いのだと、一つの軸を持てるようになりました」
豊田合成九州への出向が経営企画の新たなキャリアの道につながった
- その後、2018年11月1日に設立した豊田合成九州の組織立ち上げを任され、出向を経験した関戸さん。当初は、本社からの分社化に向けた新たな組織の人事担当として、制度設計や要員管理、転籍交渉を一手に担っていたものの、まさか自分が現地に行くことになるとは思ってもみなかったそう。経験の長い人事畑から業務範囲も一変し、さらに初めての地域での経営管理や事業計画の立案、初代社長のサポート業務と、すべて手探りで進めていくことになりました。
- 「出向を告げられたときは戸惑いました。本社で転籍交渉を進めていた人事担当者が、出向で現地に行くことを、現地の皆さんがどう受け止めるのか、気になるところもあって…。自分自身も、やったことのない業務に就くことに、これまでの経験を一度リセットするような気持ちになりました。“未知の領域でもどこまで吸収し、形にしていけるのか”という自分のポテンシャルが試されているのだと感じ、緊張感は大きかったですね」
- 当時、関戸さんが心がけたのは、「立場や肩書、雇用形態やバックグラウンドに関係なく、同じ組織の一員であるという視点を大切にする」という姿勢だったといいます。
- 「事業計画を考える際も、思考のプロセスからアウトプットまですべてオープンに見せることで一歩一歩、関係を築いていきました。『あの人がいれば安心だね』と、立場ではなく信頼で選ばれる人でありたいと思っていました」
- 派遣社員の働き方を選んだときから、「新しい分野への好奇心が強く、新しい環境で頑張ることは嫌いではなかった」という関戸さん。
- 「環境が変われば、求められる役割が変わります。期待されることで人は成長し、人生も豊かになっていく。出向はまさに、経営企画の道に進みたいと思わせてくれた、キャリアのターニングポイントになりました」
→「後編記事」につづきます。
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取材・執筆:田中 瑠子





