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マイキャリアストーリー

『“人生の時間をどう使いたいか” 自分の軸をぶらさずに歩んでいく』
バークレイズ証券 ヴァイス・プレジデント 吉田 恵美子さん【前編】

誰しも迷うキャリアの決断。管理職として活躍する女性はいつ、何に悩み、どう決断してきたのか。キャリアの分岐点と、決断できた理由を語っていただきます。

今回は、バークレイズ証券 投資銀行部門 債券資本市場部でヴァイス・プレジデントを務める吉田恵美子さんにお話を伺いました。

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吉田 恵美子(よしだ えみこ)さん

バークレイズ証券株式会社 投資銀行部門 債券資本市場部 ストラクチャード・ファイナンス担当 ヴァイス・プレジデント
2019年6月、バークレイズ証券株式会社投資銀行部門にアシスタント・ヴァイス・プレジデントとして入社。2021年、ヴァイス・プレジデントに昇進。債券資本市場部でストラクチャード・ファイナンス(証券化)商品の組成に関わる一連のアレンジメント全てを担当している。

卒業後は海外で働こうと決意、海外留学が転機になった

2019年にバークレイズ証券に中途入社し、債券資本市場部で証券化商品の組成を担当している吉田恵美子さん。顧客のプロジェクトに必要な事業費のうち、負債部分を債権化し投資家から調達するという「投資商品仕立てにした資金調達手法(プロジェクトボンド)」を担っています。
2021年からは、案件の組成を1から100まで全てリードしていく責任を持つヴァイス・プレジデントに昇格。2024年には、国内初となる障がい者向けグループホーム支援を裏付けとするソーシャルプロジェクトボンドを組成するなど、社会福祉インフラの拡充といった重要課題にも向き合ってきました。

もともと、両親が銀行員だった影響もあり、金融業界への憧れが強かったと話す吉田さん。しかし、大学卒業後に選んだのは不動産業界でした。海外で働きたいという強い思いから、就労ビザを取得できる会社を第一優先に考え、ロンドンの不動産会社への就職を決めたといいます。
「外資系の証券会社に勤めているというと、『勉強ができたんでしょう』と言われることが多いんです。でも私自身は全然そんなことはなくて、大学受験では第一志望の大学に落ちてしまいました。そんな中で、学生生活を有意義に過ごすためには何をすればよいかと、自分なりに考えて出した答えが、海外留学をすることでした」
挫折をきっかけに決めた“海外留学”が、吉田さんの人生の転機になります。いろいろな国や地域から来ている留学生の友人たちと将来の話をする中で、「自分がやりたい仕事をやれる場所、能力を発揮できる環境でチャレンジしたい」と思考する人の多さに衝撃を受けたといいます。
「なんとなく、日本に帰って就職活動をするものだと思っていた私には、すごく新鮮な価値観でした。『母国に帰らなくちゃいけないって、誰が決めたの?』と場所に縛られない生き方を志向する友人たちに感化され、私も海外で働いてみたいと思うようになりました。海外で働けば、今よりもさらに多様なバックグラウンドの人や考え方と出会えるはず。自分の思考を広げ、人生を豊かにしてくれる経験になるのではないかと考えました」

ニューヨークで念願の金融業界へ、親への感謝の思いが自分を突き動かしていた

大学卒業後、就労ビザを発給して採用してくれる海外の企業に絞ってリサーチを重ね、ロンドンの不動産会社で約4年間、ビジネス経験を重ねた吉田さん。その間にリーマン・ショックが発生し、「“移民”である自分は、経済状況の悪化でもっとも先に切られる存在である」と、常に危機感を持ちながら働いていたといいます。

その後、「就労ビザの制限を受けずに、やりたい仕事にチャレンジできる環境」を求めて、アメリカの永住権(グリーンカード)の抽選プログラムに応募。取得が叶ったことからニューヨークへの引っ越しを決断します。
「仕事も決まっていない状況で、片道切符でニューヨークに渡りました。永住権を得たことは非常に大きくて、就職活動も格段にしやすくなります。念願だった金融業界に飛び込み、日本の証券会社のニューヨークオフィスで機関投資家向けのIR支援などを担当しました」
ロンドンで社会人生活のスタートを切り、ニューヨークでは異業界転職を決断――。常に「マイノリティであることを意識せざるを得ない環境」で、あえて大変な道を進んでいるように見えますが、日本に戻る選択が頭によぎることはなかったのでしょうか。
「リーマン・ショックのときは、この先どうなってしまうのだろうという不安に押しつぶされそうでした。そこで踏ん張れたのは、両親の存在が大きかったです。海外に出ていくことを後押ししてくれた父は、留学中に他界してしまいました。『私が今海外で働けているのは、父がサポートしてくれたおかげ』という気持ちは強くありました。海外で活躍することが一番の親孝行になると考えていましたし、ここで負けるわけにはいかない、父を超えていきたいという思いが、私を突き動かしていたんだと思います」

→「後編記事」に続きます





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写真:MIKAGE
取材・執筆:田中 瑠子

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