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仕事に効く話

前田有紀さんインタビュー① アナウンサーからフローリストへ。「好き」を仕事にできたワケ

元テレビ朝日アナウンサーで、現在フローリストとして活躍されている前田有紀さん。プライベートでは7歳と3歳の男の子の母でもあります。大胆な転職の理由や、その決断に至るまでにしたことは? キャリア選択の裏側を伺い、自分らしく働くためのヒントをひも解きます。

※前後編、前編です。

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前田有紀さん

フローリスト。株式会社SUDELEY(スードリー)代表取締役。1981年生まれ。2003年、新卒でテレビ朝日にアナウンサーとして入社。2013年、退社。その後、イギリス留学とフラワーショップでの勤務を経て、2018年に移動販売などを行うフラワーブランド『gui(グイ)』を立ち上げ。2021年に実店舗『NUR flower(ヌア フラワー)』を東京・神宮前にオープン。現在は店舗運営やイベント装飾、ワークショップ開催なども行なう。オンラインゼミ「好きを仕事に研究会」も主催。

「好き」を軸に仕事がしたくなり、転職

―アナウンサーとして10年間勤めたテレビ朝日を、32歳で退社。そのきっかけについて、教えてください。
前田:アナウンサーという仕事柄、様々な職業の方に出会う機会が多く、「私も好きなことを仕事にしてみたい」と思うようになったことがきっかけです。入社5年目くらいから感じていましたね。
例えばアスリートや社会活動をされている方など、「好きなこと」を仕事にしている方はとても輝いて見えたのです。
では、そもそも私の「好きなこと」とは何なのか。最初はわからなかったのですが、自分自身のことを掘り下げて考えていくうちに「自然に関わる仕事がしたい」という思いにたどり着いて、転職をしました。
―アナウンサーとして大活躍されている中でのキャリアチェンジ。大きな決断でしたよね。
前田:入社時は「私は生涯会社員として生きていくのだろうな」という気持ちでしたし、仕事自体は楽しかったんです。同僚も良い方ばかりで「この仲間たちと仕事をする」ことにやりがいを十分感じていました。
ただ、アナウンサーを一生の仕事にしたいかを考えると、その場所で歳を重ねている自分を想像できないところもありまして。だったら「好き」を軸に仕事をしようと、思い切って舵をきりました。

―転職を決めた時、ご家族からの反応は?
前田:最初に親に相談した時には「先行きが不透明なこの時代、会社にかじりついてでも会社員でいた方がいいのではないか」と言われましたね。
でも、最終的には自分の気持ちを大切にしました。「新しい世界に飛び込んでスキルアップをして活躍する自分を見てみたい」という気持ちに正直に従い、今に至ります。

これまでと異なる視点で社会を見つめ直せた3年間

―「好き」を見つけて退職された後、留学も経験されていますよね。
前田:はい。約半年間、イギリスへ留学しました。「お花にまつわる仕事に就きたい」と思っていたものの、退職時はまだ漠然としていて。だからイギリスで触れた時にどう感じるのか、自分の中で確かめたかったのです。
帰国後には、東京の生花店で3年間働いて、多くのことを学ばせていただきました。その時、私はテレビ局でアナウンサーとして10年間のキャリアを積んでいたので、正直、生花店でもある程度は仕事ができるだろうと思っていたんです。でも、いざ働くと自分には全くスキルがないことに気付かされて。例えば、請求書も領収書も収入印紙も発行の方法がわからない。知らないことが圧倒的に多くて、世間知らずのまま歳を重ねていたことを痛感しました。そうやって30代半ばにしてこれまでとは異なる視点で社会を見つめ直せたのは、とても貴重な体験でした。
―自分の「できないこと」にも向き合った3年間、辛いと思うことはありましたか?
前田:特にマイナスには捉えていなくて。むしろそんな状況を面白がっていました。それは、やっぱり好きな職業だったからですね。新しいことを学べる喜びを実感していました。何も知らなかった状況から一つ一つできることが増え、アレンジメントが作れるようになったり、配達ができるようになったり、最終的にはお花の仕入れもさせてもらったり。できないことがどんどんできるようになっていく3年間の過程は、とても楽しかったです。
―これまでの自分とはまったく違うことを始められる喜びは、転職の醍醐味でもありますよね。
前田:そうなんですよ。自分のことをわかっているつもりでも、環境を変えたら気付くことがたくさんあります。転職したからこそ、自分にはまだまだ可能性が詰まっていて、想像以上に遠くまで羽ばたくことができると実感した30代でした。
―転職によって気が付いた、前田さん自身のあらたな一面は?
前田:コミュニケーションをとることがすごく好きだということですかね。お客様とのコミュニケーションや、お店のスタッフとのコミュニケーションから学ぶことも好きでした。あとは、自分でもびっくりするくらい提案することが好きだということ。お店に対しても企画を提案していたのですが、前職では自分で手を挙げたことはなくて。それって環境のせいではなく、自分の意識の問題なんですよね。
「お花が好き」という軸があったからこそ、やりたいことがどんどん思い浮かんで、それを実現するためのスキルとプロセスを学び、能動的に仕事に向き合うことができました。
生花店で働くまでは「私にはこれがある」というキャリアの強みが無かったのですが、能動的に働くことでお金を稼いで食べていけるようになったことは、今の自分の自信にもなっています。
―そのように能動的に働くために、何か意識したことはありますか?
前田:特別何かしたというより、環境を変えることで働く姿勢が変わりました。同じ人間でもこんなにも変わるのかと自分でも思うくらいです。
会社員時代には周りの声が気になっている時期もあったので、今の方が自分らしく働くことができています。そして好きなことのためならこんなにも踏ん張りが効くなんて、自分でも思ってもいなかったです。転職、起業したことで自分自身の再発見につながる出来事と多く出会えています。
今は、社会の中で自分らしく仕事をしながら暮らしができている自覚があるので、やっぱり「好きなこと」を軸にした転職をして良かったと思っています。

「好きなこと」は、一朝一夕では見つからない

―前田さんが見つけた「自然と関わること」は、幼少期から好きだったのでしょうか?
前田:好き、というより憧れを抱いていました。私は神奈川県横浜市街の生まれで東京の学校に通っていたので、比較的人が多く、ビルがある場所で幼少期は過ごしていて。なので、森や花がある風景や草原などの自然に人一倍憧れがあったんです。
―そうだったのですね。その憧れを「好きなこと」として転職の軸にするまで、どのように思考錯誤したのでしょうか?
前田:「好きなこと」を見つけるまでには、とても時間がかかりました。入社5年目ぐらいから、自分の心が赴くままにヨガや料理など、様々な習い事に挑戦したのですが、あまり長続きするものがなくて(笑)。そんな中、お花だけは続いたんです。
「自然に関わりたい」という気持ちだけは途切れることなく自分の中にあり、徐々に強くなっていったので、今のフローリストの職業につながりました。
私のように、好きなことを見つけるまでに試行錯誤があって良いと思っています。むしろすぐに見つからないことがほとんど。自分自身に何が向いているのか、何に触れていたら心地良いのかを掘り下げ、試行錯誤することで見つかるのではないでしょうか。忙しくてもそういった時間を設けると、自分の人生を一歩踏み出すことができると思います。

「後編記事」に続きます。
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