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仕事に効く話

ぼる塾・酒寄希望さんインタビュー① 育休中にグループがブレイク。「私なんて」の乗り越え方

人気お笑いカルテット、ぼる塾。リーダーの酒寄希望さんは2019年に産休・育休を取得し、2022年に復帰しました。現在は舞台やYouTubeを中心に活動しています。当時、芸人として産休・育休を取得することはまだ珍しく、しかもその期間に3人体制でのぼる塾が大ブレイク。酒寄さんには大きな葛藤がありました。

企業で働く女性も、仕事と育児の両立には葛藤や悩みがつきもの。酒寄さんに自分を重ねる方も多いのではないでしょうか? 酒寄さんはどのように葛藤を乗り越え、今、自分らしく働いているのか、お聞きしました。

 

※前後編、前編です。

「育休制度が無いならつくろう」。異色のお笑いカルテットが誕生したワケ

―まずはぼる塾の結成と、酒寄さんの育休取得の流れついて詳しく教えてください。
酒寄:元々ぼる塾は、私と田辺さん(田辺智加)の「猫塾」というコンビ、あんりちゃんとはるちゃん(きりやはるか)の「しんぼる」というコンビが合流してできた4人組です。
ぼる塾誕生のきっかけは、私がつわりで出られなかったお笑いライブで、3人が即席でグループを作ったこと。そこでウケたので、その後も即席トリオとして活動していました。
正式に結成したのは、私が育児で休んでいた時です。だから、田辺さんから「ぼる塾を結成する」と相談された時は、てっきり3人で活動していくということだと思い、私は身を引くつもりだったんです。私も3人のネタを見た時にとても面白くて、多分これは最後の売れるチャンスなんじゃないかと思っていたので。でも、田辺さんは「4人でぼる塾を結成しよう」と言ってくれて。その理由は3人とも「4人でいる方が楽しいから」というシンプルなもの。
とは言うものの、当時の吉本興業には正式な育休制度もなかったので、私自身もどうしたら良いのかわからなかったんです。そしたら「絶対に酒寄さんにもいてほしいから、今復帰が無理なら、私たちが育休制度を作ってしまおう」と3人が言ってくれたんですよ。
私は、そんなこと勝手にして大丈夫!? と思っていたのですが、3人は「なにも悪いことしてないんだから」と背中を押してくれて。そのメンバーの心強さから「育休中のメンバーがいる4人のぼる塾」ができたのです。
―4人の絆を感じます。猫塾としんぼるは元々どんな関係だったのでしょうか?
酒寄:しんぼるは一番仲良くしている後輩で、売れなくて辛い時代をお互いずっと見ていて励まし合っていましたね。だからこそ、あんりちゃんとはるちゃんは「酒寄さんをここで(育児が理由で)終わらせるのは違う」と思ってくれていたそうです。
―育休中もメンバーとは毎日連絡を取っていたそうですが、その理由は?
酒寄:元々、コンビ時代から田辺さんに「今日何か面白いことはあった?」と聞く習慣があって、それが4人に広がった感じです。
田辺さんって、自分のどこがどう面白いかを自覚していないんです。例えば27歳でギャルデビューしたり、新大久保の韓国人の店員さんに恋をして独学で韓国語を習得したり(笑)。とにかく日常の中に面白エピソードをたくさん持っているのに、なぜか自分では「ベーグルが焼けること」が一番の武器だと思っていて(笑)。なので構成作家さんからも「酒寄が田辺の面白さを覚えて、いつでもエピソードトークで紹介できるようにしてあげて」と言われ、毎日の報告が始まったんです。
あんりちゃんとはるちゃんもその習慣を知っていたので、4人になってからは「今日、田辺さんこんなことしでかしてました」という報告が入るようになり、田辺さんからも「いや2人だってね」と3人の面白エピソードを毎日連絡くれるようになったんですよ。

世間の声に翻弄されず、「大切なのは誰か」を見失わないこと

―育休中、3人体制でのぼる塾がテレビを中心にブレイクして、葛藤もあったかと思います。
酒寄:そうですね。「私の帰る場所はもうないのではないか」と思っていましたね。3人のバランスが完璧でしたし、SNS上でも「4人もいらないよ」みたいな声を見てしまって、本当にその通りだよねって思うくらいには落ち込んでいました。
もうこれは私から脱退を切り出すべきだと思い、田辺さんにその意思を伝えたところ、田辺さんが「3人でテレビに出ている時でもずっと私は4人でいるつもりだった。酒寄さんがいてくれないと私は田辺じゃなくなるから、絶対に酒寄さんが必要なんだ」と言ってくれたんです。あんりちゃんとはるちゃんも「絶対に酒寄さんがいないと嫌だ!」と言ってくれて。
でも、そうは言っても世間の皆は私のこといらないって思っているって私の口から伝えたのですが、3人が「皆って誰なんだ」と。「酒寄さんと仕事をするのは私たち。私たち3人が酒寄さんを必要としていることが一番大事なことなのではないか」と、きっぱり言ってくれて。
たしかによく考えたら、距離は離れていたけど私もずっと3人が隣にいてくれているような毎日を過ごしていたんです。そう思った時に、「誰が自分にとって大切か」を見失ってはいけないなと。これからも3人の隣にいたいという思いが強くなりましたね。
一方で、「自分がぼる塾に必要なのか」という葛藤は、育休中ずっと抱えていました。だから、この葛藤は、仕事に戻った時に、自分の力で乗り越えようと決意しましたね。
―ご家族は、芸人として仕事復帰する酒寄さんに対してどんな反応でしたか?
酒寄:全力で応援してくれています。ただ、最初に夫から「絶対に己の力でぼる塾としてお金を稼げるようになってください」という条件を言われました。3人が許してくれたとしても、決して趣味気分で仕事復帰してはいけないよと。3人は芸能界という大変なところで戦ってきたわけで、たとえ3人が楽しい部分だけを見せてくれていたとしても、そこに甘えてはいけない。そんな気持ちだと一生追いつけないし、絶対に自分の力で自信を手に入れて「私はぼる塾です」と言えるような働きをしてくださいと言われました。今、その気持ちをとても大切にしながら働いています。

あなたにとっての「ぼる塾」的存在は、すぐそこにあるかも

―お話しを伺っていて、誰しもがぼる塾のような「居場所」を見つけられたらと思うのですが、自分にとっての「ぼる塾的存在」の見つけ方はありますか?
酒寄:自分にとって大切な人が見つからないないかもと不安に思うかもしれませんが、いつどのタイミングで出会えるかはわからないし、案外近くにいる可能性もあります。
私は芸人養成所でも友だちが少ない方でしたが、田辺さんとはそんな養成所時代、あんりちゃん、はるちゃんとは芸人になってから出会いました。しかも出会った時はこんな風な関係になるとは思っていませんでした。また、育休中のとても不安な気持ちの時にたまたま行った児童館で出会ったママ友とも今でも仲良く連絡を取り合っています。
自分が「大切にしたい」と思える存在の人が現れたら、きっとその方もあなたのことを大切にしたいと思ってくれているはずですよ。

(取材・執筆:菱山恵巳子)

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