キャリアに悩んだときに思い出したい英語の名言
働いていく中で、誰しも直面するキャリアの悩み。今のままでよいのか、一歩を踏み出すべきなのか判断に迷うこともあると思います。
世界各国、多くの偉業を成し遂げてきた人たちもまた、私たちと同じように大いに悩み失敗を乗り越えながらキャリアを歩んできました。そんな彼女ら彼らの言葉の中にキャリアを切り拓くヒントがあるかもしれません。
今回は、キャリアで悩んだときに、励まし・背中を押してくれる「偉人たちによる英語の名言」をセレクトしてみました。
不遇のときに思い出したい英語の名言
- 『My life didn’t please me, so I created my life.』
私の人生は私を喜ばせてくれなかった。
だから私が“私の人生”を創ったの。
≪ファッションデザイナー・経営者 ココ・シャネル≫
1883年生まれ、フランス・ロワール出身。行商人だった父と洗濯婦の母との間に生まれる。12歳で母を亡くした後、修道会が運営する孤児院に預けられ、そこで裁縫を学ぶ。孤児院を出た後は、洋品店で針子の仕事をしながら、副業でショーパブで歌うようになる。しかし、容姿こそ評価されたものの、歌の評価は芳しくなく、歌手の道を断念する。
その後、上流階級の将校を恋人に持つ中、上流の文化・知性に触れ、社交の場に出る機会を得る。そこで、帽子作りに興味を持ったココ・シャネルは、自ら帽子を縫うようになる。その作った帽子が周囲に大変好評だったこともあり、イギリスの実業家の出資を受けて店を出す。これが世界的ブランド「シャネル」の始まりとされている。次第に創作のフィールドを広げ、帽子から洋服へと徐々に規模を拡大するが、世界恐慌や第二次世界大戦を契機に、一度、ブティックを閉じる。その後、スイスでの亡命生活を経て、1954年にファッション業界に復帰。翌年にはシャネルスーツを発表し、アメリカで「過去50年間でもっとも大きな影響力を与えたファッションデザイナー」としてモード・オスカー賞を受賞する。1971年に87歳で没するまで、ファッションデザイナーとして、今に受け継がれる数々の名作を輩出する。
そんな、激動の人生を送ったココ・シャネルが語ったのが、
『My life didn’t please me, so I created my life.』という言葉。
幼くしての母親との死別、父親と離れての孤児院育ちという生い立ちは、彼女にとって到底満足できるものではなかったそうです。だからこそ、与えられた人生に受け身に流されるのではなく、全く新しい人生を自ら創造すると決めたといいます。
人生は自分で創れるもの。自分に与えられた人生が気に入らないなら、ただ幸運が降ってくるのを待つのではなく、新しい人生を自ら切り拓く。不遇のときにこそ思い出したい、決意に満ちた言葉です。
仕事がうまくいかないときに前を向かせてくれる英語の名言
- 『Turn your wounds into wisdom.』
負ってしまった傷を「知恵」に変えよう - ≪テレビ司会者・番組プロデューサー オプラ・ウィンフリー≫
1954年生まれ、アメリカ・ミシシッピ州出身。未婚でティーンズの父母の元に生まれる。幼少時より親族の友人により性的虐待を受け続け、14歳で妊娠し男児を出産。しかし、生後わずか1週間で亡くす。高校生で地元ラジオ局で働き始め、その後はテレビ局でニュース番組のメインキャスターを務める。そこでの活躍が認められ、昼間のトーク番組「オプラ・ウィンフリー・ショー」の司会を担当。昼間のトーク番組で最高視聴率を叩き出し、全米のみならず、世界140ヶ国で放送される超人気番組となる(1986年~2011年)。番組を通じ、自身の意見を積極的に発信し、LGBTの地位向上等、数々の社会課題を世間に投げかけた。司会業のみならず、女優としても功績を残しており、アカデミー助演女優賞にノミネートされたこともある。今や、アメリカでトップクラスの影響力を持つテレビ司会者の1人と言われている。
そんなオプラ・ウィンフリーが語ったのが、
『Turn your wounds into wisdom.』という言葉。
辛い出来事で負った傷を、ただの傷のまま残さず、自分の人生を照らす「知恵」に変えようといいます。
性的虐待や我が子との死別。若年時代に心に大きな傷を負いながらも、自暴自棄にならず、真摯にキャリアを切り拓いたオプラ・ウィンフリー。人の心の機微を読み取る洞察力に優れた司会者として知られるようになりました。まさしく、負ってしまった傷を知恵に変えた結果といえます。
働いていると、仕事の失敗や人間関係のいざこざなど、負いたくない傷を負ってしまう場面もあると思います。そんなときに、そっと背中を支えてくれる温かい名言です。
惰性でキャリアを送っていると感じるときに思い出したい英語の名言
- 『Control your own destiny or someone else will.』
自分の運命は自分でコントロールしなくてはならない。
さもないと、誰かにコントロールされてしまう。 - ≪実業家 ジャック・ウェルチ≫
1935年、アメリカ・マサチューセッツ州出身。鉄道車掌の父と主婦の母の間に生まれる。マサチューセッツ大学を卒業後、イリノイ大学で博士号を取得。同年に、総合電機メーカー、ゼネラル・エレクトリックに入社する。入社から10年余りで副社長を務め、1981年には同社最年少の会長兼最高経営責任者に就任。1999年にはフォーチュン誌にて「20世紀最高の経営者」に選ばれた。同職を退任後は経営学修士号(MBA)のオンラインプログラムを立ち上げるなど、後進育成に力を注いだ。2020年3月没。
今や、世界最大の総合電機メーカーとなったゼネラル・エレクトリック。同社で数々の功績を残したジャック・ウェルチは、その名声の一方で、大規模な整理解雇による利益率の改善を経営手法の軸とし、成績不振の従業員や部門を大胆に削減する、無慈悲な側面もささやかれていました。
そんなジャック・ウェルチが語ったのが、
『Control your own destiny or someone else will.』という言葉。
自分が実現したい未来を明確に思い描き、そこに向けて行動を重ねる。そうして、自分の人生の主導権を握っていないと、他の誰かに人生をコントロールされることになると説いています。
経営建て直しのため、数々の従業員のキャリアをシビアに翻弄して来たジャック・ウェルチだからこそ語れる言葉かもしれません。
最近、惰性でキャリアを送っている。なんだか周囲に流されるまま仕事を進めてしまっている。そんな危機感を覚えたときに、心に刻みたい英語の名言です。
構成:Be myself 編集部