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仕事にまつわる体験談

[体験談]どんな環境下でも「キャリアを諦めたくない、前に進んでいたい」

キャリア職で活躍する女性たち。キラキラと働く裏で、これまで体験してきた仕事上の壁は数知れず。どんな壁に遭遇し、どうやって解決したのか。リアルな体験談から、働く女性の悩み解決のヒントを探ります。

 

今回、登場いただくのは主にOEM製品の製造販売を手掛けるユー・アンド・アース株式会社のタイ・バンコク デザイン・システム開発センターにて、マーケティング・広報職を務める白井恵里子さん。旦那さんのタイ赴任に伴い、2年半働いていた前職を辞めて、いわゆる“駐在妻”としてバンコクに来ました。「“駐在妻”になると現地で働けず、キャリアを諦めなければならない」と考える方も少なくないと耳にします。そんな中、現地就職という道を選んだ白井さんの原動力となったものは何だったのでしょうか?お話を伺いました。

駐在妻は働けない?現地就職のハードル

ー まずは、駐在妻としてタイに行かれるまでの経緯を教えてください。
『新卒で国際協力銀行(JBIC)に入行し、その後組織統合に伴い独立行政法人国際協力機構(JICA)職員として、バングラデシュ向け円借款事業の案件形成などを担当しました。

25歳の春、結婚に伴う引っ越しを機に退職。そこからは専業主婦をしながらユニセフのボランティア活動を行ったり、家でできるWEBライターの仕事を少しずつ始めたり、キャリアとしては緩やかな時期を数年過ごしました。

34歳の時に「本格的にまた働きたい」と思い立ち、人生第二の就職活動を経て株式会社PR TIMESに入社。「“伝えること”で行動を起こす人を増やし、世の中をより良くしたい」といった私のキャリアビジョンがマッチしての再就職でした。しかし、ビジネス系WEBメディアのライター・編集の仕事にやりがいを感じていた真っ只中、2年半後に夫のタイ赴任に伴い止む無く退職することになってしまいました。

キャリアのブランクがもたらす再就職の難しさを過去に実感していたからこそ「キャリア分断だけは避けたい」と強く思っていましたが、家族が一緒に暮らせる生活を優先して37歳の秋から駐在妻生活をスタートしました。』
ー 駐在妻となった方の中には、就業までのハードルの高さから、キャリアの空白を受け入れざるを得ない人も多いと聞きます。実際、駐在妻がタイで働くにあたり、ネックとなる点が多々あったそうです。
『駐在の帯同で海外に暮らす妻は、通常"帯同ビザ"で入国しているため、働くことができません。国によっては"帯同ビザ"でも働けるケースがあるそうですが、タイの場合はかなり厳しく禁じられています。個人事業も認められていないため"フリーランス"として働くこともできません。

働くために就労ビザを取得する方法としては、①タイで起業する②現地就職する、この二つだと思います。ゆくゆくは本帰国する身であること、起業のためには大きな額の資本金やタイ人雇用等の規定があることから、①はかなりハードルが高いですよね。

もちろん②も簡単ではありません。タイの日系企業現地求人は、7~8割が製造業の営業職(私の所感ですが)なので、営業経験のない私が希望する求人を見つけるのは至難の業。基本的に"時短"という概念がないため、どの求人もフルタイム。頼れる祖父母などが近くにいるわけではありませんし、学童のような施設もないので、子どもを育てながらどう働くか…という課題もあります。

ちなみに私には未就学児の息子が一人、小学生の娘が一人います。』
ー 白井さんは、このような数々のハードルを越えてなお、現地就職を果たしたいと考えたと言います。
『JICAを退職してからPR TIMESに入社するまでの9年間は、ボランティアや細々としたライター業務は行っていたものの"キャリアのブランク"と呼ばれる期間でした。その期間が、再就職をものすごく難しくしていました。その経験があったからこそ、「今回はなるべくブランクを作りたくない!」と強く思っていたのです。本帰国後の再就職が不安でしたから…。

実は、現地就職の決断に至るまでは、タイの山岳民族の子どもたちが学び暮らす学校で広報ボランティアをしてみたり、ライティング経験を活かして無償でインタビュー記事執筆の仕事を請け負ったり、さまざまなことに取り組んでいました。しかし、ボランティアや無償案件と言えども、一人で動くためには子どもを誰かに預けなくてはなりません。そのためにはお金(現地通貨)も必要。ふとした時「このままでは、続かないな」と思ったんです。

そうして現地就職という選択肢が浮かび上がってくると「海外で働く経験なんて、今を逃したら一生できないかもしれない」と、急に意欲が増しました。そこからは、早かったですね。すぐに転職活動を始め、応募できそうな求人を一心不乱に探していました。』

「伝える」をキャリアの軸に、会社の思いを世の中に伝えたい

ー 熱い思いで現地就職に向けて歩みだした白井さん。どのような経緯でユー・アンド・アース株式会社に入社することになったのでしょうか?
『転職活動は、実は順風満帆ではありませんでした。私は広報やマーケティング職に挑戦したいと思っていたのですが、前述の通り営業職の求人が目立つタイの転職市場。最初は、応募可能な求人を見つけることすら難しかったです。

マーケティング業務ができそうな求人に応募してみたけれど、職場が日本人ばかりだと聞いて「せっかくならタイ人と働きたいから、ちょっと違うな」と感じ入社意欲がなくなってしまったことも。また、面接官から「駐在妻のキャリアを応援したいと兼ねてから思っていたんですよ」と心強いお言葉をいただき、ポジションを作ってもらったにもかかわらず、その業務内容や働き方に納得ができず辞退することもありました。

「これは想像以上に難しそうだ」と思い、次に私がとった行動は、一般公開されている求人から応募するのではなく、タイに法人のある日系企業を探して、個別に連絡をしてみることでした。その中のひとつがユー・アンド・アースです。本社は東京ですが、バンコクに法人があると知って「現在は駐在妻ですが就労ビザに切り替えて仕事がしたいんです」とコンタクトをとったところ、現地就職を前提に面接に進むことができました。

これまでの経験が活かせそうであること、やりたい職種に就けること、バンコクのオフィスにはタイ人メンバーがたくさんいること、育児事情も理解してもらえたこと等から、最終的に入社を決めました。条件、業務内容、働き方、すべてに納得できる就職がタイで叶うなんて…と、夢のような結果でした。』
ー 入社後、マーケティング・広報を務める白井さん。様々な国籍のメンバーに囲まれる中、これまでにない大きなやりがいを感じているそうです。
『現職のユー・アンド・アースはOEM生産事業を主軸にしつつ、最近ではアニメグッズ販売や、北米向けのオリジナルグッズ製作販売事業も開始している会社です。その中で、私は、オリジナルグッズ専門サイトのページ制作や広報の仕事を担当しています。同じオフィスのタイ人エンジニアとは英語で意思疎通を図ることができますが、他のタイ人メンバーとはコーディネーター(通訳)を介さないとコミュニケーションがとれないので、今後はタイ語も少しずつ習得したいなと考えています。

ちなみに、当社は、現在は東京本社、中国の自社工場、バンコクのデザインセンターと、3つの拠点があります。様々な国籍を持つメンバーの集まりなので、目線は常に“世界”に向いています。そんなグローバルな環境の中で働けることを誇りに思っています。

広報としてはまず、ユー・アンド・アースの"想い"を伝えること、そしてゆくゆくは様々なステークホルダーと良い関係性を築くための施策を考えたいですね。実は当社にはこれまで広報担当者が存在しなかったんです。前職のメディア経験などを活かしながら、一人目広報として新しい挑戦ができることも、今の仕事の醍醐味だと思っています。

仕事を通じて「できない」を「できる」に、「やったことがない」を「やったことがある」にどんどん変換していけることが、本当に楽しいです。転職活動はじめ、就労ビザへの切り替え、留守をお願いするメイドさん探しなど、大変なことも多かったのですが、自分の気持ちに正直に行動を起こして良かったと、心から思っています。』

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駐在妻となりキャリアを諦めてしまっている人たちに、「こんな選択肢もあるんだよ」と伝えたいと語る白井さん。行き止まりに見える道でも、思いの強さと行動力が、ときに道を切り拓いてくれると教えてくれるエピソードではないでしょうか。

(取材・執筆:Be myself編集部)

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