幸せな人生を送る指針になる!オードリー・ヘップバーンの名言
「ローマの休日」に代表されるさまざまな作品で女優としての才覚を表し、女性たちが憧れるアイコンともなったオードリー・ヘップバーン。
『何より大事なのは、人生を楽しむこと。幸せを感じること』と語っており、時に奔放に、時に慎ましく、自分らしい人生を全うしました。
今回は、そんな彼女が残した名言の数々をご紹介。きっと、みなさんが幸せな人生を送るためのヒントになるはずです。
目次
幸せの探し方を教えてくれる、オードリー・ヘップバーンの名言
- 『小さかったときに何に幸せを感じたのかを探すの』
≪オードリー・ヘップバーン≫
女優。1929年生まれ、ベルギーのブリュッセル出身。両親の離婚を機にオランダへ移住するも、第二次世界大戦下で苦しい生活を送る。戦争終結後、イギリスのマリー・ランバート・バレエ学校に入学。ミュージカルで舞台デビューを果たし、1951年にはブロードウェイ作品「ジジ」で主役を務める。1953年には映画「ローマの休日」で主役に抜擢。24歳でアカデミー賞主演女優賞を受賞する。その後も、「麗しのサブリナ」「パリの恋人」「ティファニーで朝食を」「シャレード」「いつも二人で」など、出演する作品は軒並み大ヒット。ゴールデングローブ賞、アカデミー賞の主演女優賞でノミネート常連となる。
一方、1988年にユニセフ親善大使に就任。1993年に亡くなるまでの期間、食糧危機に陥っていたエチオピアやソマリアをはじめとする世界十数か国をめぐり、慈善活動を続けた。
苦労の多い幼少期を過ごした、オードリー・ヘップバーン。両親の離婚や戦争による貧困、そしてプロのバレエダンサーになるという夢さえも、身体の成長期に栄養失調状態になっていたことを理由に、師事していた舞踏家からNOをつきつけられ諦めています。
『小さかったときに何に幸せを感じたのかを探すの』という名言は、そんな困難の中にあっても、幸せを見いだし、前向きに生きた芯の強さが表れています。彼女はバレエダンサーの夢を絶たれても腐らず、同じ舞台で活躍できる女優という道を志し、成功を掴みました。
また、この名言に続く『私たちはみんな成長した子ども。本当に……。だから人は回想し、愛したものや気付いた現実を探し求めるべきなのです』という言葉からも、幼少期に経験したことや感じたことにこそ、幸せな人生を送るヒントがあるのだとわかります。
自分にとって幸せってなんだろう…と考えるときは、幼少期に楽しかったこと、幸せだったことを思い出してみてください。
自分らしくキャリアを歩む女性を応援する、オードリー・ヘップバーンの名言
- 『私の最大の願望は、いわゆるキャリアウーマンにならずにキャリアを築くこと』
- 生涯を通して数多くの作品に出演したオードリー・ヘップバーンですが、『私の最大の願望は、いわゆるキャリアウーマンにならずにキャリアを築くこと』という名言から、仕事以外のことにも重きを置く彼女の価値観が表れています。
彼女が残した言葉の中には、自分らしく人生を生きることの大切さを語った名言がいくつもあります。
『私にとって最高の勝利は、ありのままで生きられるようになったこと』
『なんで変えなきゃいけないの?みんなそれぞれのスタイルがあって、それを見つけたらずっともち続けるべきよ』
彼女は幼少期、父親が家庭を捨てて出て行ってしまい、両親が離婚するという辛い経験をしています。そのため、とくに温かい家庭を持つことを望んでいました。
愛する家族との穏やかな生活を優先し、一度は女優業の第一線から距離を置くなど、女優としてのキャリア一辺倒にならない人生を選択したオードリー・ヘップバーン。この選択こそが、彼女が幸せに生きるための最善だったのです。
自分のキャリアや、家庭とのバランスに悩んだとき、他人と比べたり、誰かのためにこうあるべきだと思い詰めることもあるかもしれません。そんな時はこの名言を思い出し、肩の力を抜いて、自分らしいキャリア設計をしてみてください。
人生をより豊かにするヒントになる、オードリー・ヘップバーンの名言
- 『感性さえ磨いておけば、どんなことでもやってのけられる』
- 出演する作品が次々と大ヒットとなり、女優としての確かな地位を確立したオードリー・ヘップバーン。自身の成功について、『感性さえ磨いておけば、どんなことでもやってのけられる』という名言を残しています。
トップに上り詰めると、成功ノウハウができて自信がつくものですが、この名言を語る前段として「これまでの人生で、テクニックに裏打ちされた自信をもったことは一度もありません」と語っています。テクニックに頼るよりも、感性を育むことで人間的に成長することにこそ価値があると彼女は考えていたのです。
感性の磨き方は人それぞれですが、オードリー・ヘップバーンの場合は『何としても避けたかったのは、人生を振り返ったとき、映画しかないという事態です』との言葉を残している通り、女優業だけでなく、晩年はユニセフ親善大使として多くのメディアに露出。飢えに苦しむ子供たちの現状を伝え続けました。
感性の豊かさは、仕事だけで育まれるものではありません。新たなフィールドへ挑戦するその一歩が、きっとみなさんの人生に深みを与えてくれるはずです。