仕事へのやる気がみなぎる、熱い名言
2025年を迎え、気持ちを新たに仕事へ取り組んでいる人が多いのではないでしょうか。
本日は、そんなすべての人の背中を押す「仕事へのやる気がみなぎる、熱い名言」をご紹介します。
後ろ向きな気持ちになってしまった時や、もう一段階ギアを上げたい時などにぜひ思い出してみてください。
内に秘めたやる気に火をつける名言
- 『勝つまでやる。だから勝つ』
≪安部修仁≫
実業家。吉野家ホールディングスの元社長であり、「ミスター牛丼」とも呼ばれる名誉会長。
1949年生まれ、福岡県出身。高校卒業後、プロのミュージシャンを志して上京。バンド活動の傍ら、吉野家でアルバイトを始める。1972年、人事担当の強いスカウトもあり、音楽の道を諦めて正式に株式会社吉野家に入社する。しかし、1980年に同社は倒産。経営再建を主導し、1983年には常務取締役となる。そして、1992年に42歳という若さで代表取締役に就任。以降、22年間にわたり経営を指揮した。
『勝つまでやる。だから勝つ』という言葉は、安部氏の成功を掴むことへの執念と信念がこもった名言です。
創業120年を超える歴史を誇る吉野家ですが、人気・知名度ともにトップクラスの牛丼チェーンへ上りつめる過程は、困難の連続でした。約120億もの負債を抱えての倒産をはじめ、BSE問題に起因する2年半の牛丼販売の休止、他社との熾烈な価格競争など。負けを宣言したくなるほどの大きな逆境だったはずです。
しかし、安部氏はまったく諦めませんでした。未来がどんなに暗く見通しが立たなくても、とことんやり切ってどこまでも追及する。そうした「負けを認めない粘り強さ」と「勝ち切るための真の努力」があったからこそ、逆境をはねのけ、飛躍できたのでしょう。
日々の努力に反して、目に見えた結果がなかなか伴わない経験もこの先あるかもしれません。しかしそこで諦めず、「まだまだやれる!」「もうひと踏ん張り!」と自分を鼓舞して努力を継続できれば、きっと未来を好転させる一歩となるはずです。
夢を持つことの大切さを教えてくれる名言
- 『夢を見るから、人生は輝く』
≪ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト≫
音楽家。ハイドン、ベートーヴェンと並ぶ古典派三大作曲家の一人。1756年生まれ、神聖ローマ帝国(現在のオーストリア)のザルツブルク出身。ザルツブルクの宮廷作曲家だった父のもと、3歳でピアノの前身であるクラヴィーアを弾き始め、5歳にして作曲を開始。父と共にザルツブルク宮廷音楽家を務めるかたわら、ウィーン、パリ、ロンドンなどへ演奏旅行に行き、各地で絶賛される。1770年、14歳のときにはローマ教皇より黄金拍車勲章を授与される。1781年にフリーの音楽家となり、演奏会やオペラの作曲、楽譜の出版など精力的に活動。『フィガロの結婚』をはじめとする名曲を数多く生み出す。1791年、35歳という若さでこの世を去るも、管弦楽曲、オペラ、ピアノ曲と多岐にわたる分野で大きな功績を残した。
『夢を見るから、人生は輝く』という言葉は、人生において目標を持つこと、理想の姿を描くことを、彼がいかに大切にしていたかを表す名言です。
現代において、モーツァルトは著名な作曲家として世界中に知られる存在です。しかし一方で、当時の音楽家は非常に薄給で、ローマ教皇から黄金拍車勲章を授与されてもなお、生活が苦しかったといわれています。
そんな困難な日々の中でも音楽家であることを諦めず、35年という短い生涯の中で、626以上もの曲を作曲しています。それは彼が、名曲を世に生み出すという明確な目標、夢を持ち続けたからこそ成し得たことです。そして結果として、後世にその名を語り継がれるほど素晴らしい功績を残すことにつながったのでしょう。
長い仕事人生を送る中では、夢や目標が曖昧になってしまい、なんとなく惰性で仕事を続けてしまう瞬間があるかもしれません。そんな時はこの名言を思い出し、「今、仕事を心から楽しめているのか」「生き生きと仕事ができているのか」を自分に問いかけてみてださい。そして、改めて夢や目標に思いを馳せることで、きっと仕事へのやる気が今よりももっとみなぎるはずです。
高すぎる目標に臆した時に思い出したい名言
- 『気持ちで負けるなんて話にならない』
≪田臥勇太≫
バスケットボール選手。1980年生まれ、神奈川県横浜市出身。母や姉の影響で小学2年生の時にバスケットボールを始め、すぐに頭角を現す。高校はバスケットボールの名門、秋田県立能代工業高等学校へ進学。入学後からスタメン入りし、高校総体・国体・全国高校選抜の3大タイトルを3年連続で制し、史上初の9冠を達成する。高校卒業後は、国内の大学からのオファーを断り、ブリガムヤング大学ハワイ校へ留学。2003年にはNBAのデンバー・ナゲッツと契約するも、開幕メンバーに選ばれることなく解雇となる。しかし、翌年にNBAのフェニックス・サンズと契約して開幕メンバーへの登録を果たし、日本人として初となるNBAプレイヤーとなった。
『気持ちで負けるなんて話にならない』という言葉は、日本人初のNBAプレイヤーとなるに至る過程で、自分自身を力強く鼓舞したであろう名言です。
渡邊雄太選手、八村塁選手、河村勇輝選手と、今でこそ日本人選手のNBA挑戦も現実的となっていますが、過去、身体能力の差から日本人では不可能といわれてきました。加えて、田臥選手は身長173センチと小柄で、身長200メートルを優に超える選手も多いNBA入りは、世間的には不可能と見えていたでしょう。
しかし、田臥選手は体格ではアメリカの選手に負けていても、気持ちでは絶対に負けないと奮起しました。
『誰もやっていなかったことだったので『成功も失敗もない』って思えた』
彼はこうも語っており、結果がどう転んでも、後悔のない挑戦になるよう前向きな気持ちで努力を続けたのです。
求められる目標が高すぎると感じた時、「自分には無理だろう」と、仕事へのモチベーションが上がらないこともあるかもしれません。そんな時はこの名言のパワーを借りて、弱気な自分にカツを入れてみてはどうでしょうか。